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武藤が神奈川・座間市立立野台小学校の低学年だったころ、遠足で横浜市内に出掛けたことがあった。担任に引率され、通りを歩いていると、黄色い大型バスが走ってきた。
柏のチームバスだった。すでにサッカー少年だった武藤は、クラスメートとともに色めき立った。「Jリーグのバスだ!」。
ちぎれそうな勢いで手を振ると、バスの中から何人かが振り返してくれた。
うれしかった。興奮した。「今、ボクたちに振ってくれたんだよね!」。何度も確認し合った。
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「あれがずっと忘れられないんですよね。試合や練習を見に行く機会がなかった分、一番の思い出かもしれません。僕らサッカー少年にとって一番のあこがれ。その人たちが、手を振り返してくれたんですから」
武藤はなつかしそうに振り返った。目の前を一瞬で通り過ぎたので、どの選手が手を振り返して来たのか、確認しきれなかった。「でも、西野朗さんだけは覚えています。当時柏の監督だったんですよね」。端正なマスクが、ガラス越しにこちらに向けられた瞬間を、はっきりと思い出す。
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理由はもうひとつある。浦和移籍後、武藤は大学の先輩に当たるMF宇賀神らとともに、アーティストのライブを見に行く機会が増えた。
ステージ上のアーティストに、思わず手を振る。ごくたまに、自分たちに手を振り返してくる。
「ウガさんとも話すんですけど、手を振り返してもらえると、本当にうれしいんですよね」。そして、柏のチームバスに手を振った当時の「ファン目線」に立ち返る。
「ライブが終わった後、自分もいつも笑顔でちゃんと手を振り返したいと、あらためて思いました。試合に勝っても、自分のプレー内容に納得いかない時は、手を振るような気分になれない時もありました。でも、応援に来てくれたみなさんは、素直に勝利を喜んでくださって、笑顔で手を振ってくれます。それにはちゃんと応えないと」
そうすることでサッカーやJリーグ、浦和を一生好きでいてくれるかもしれない。そう思って、今日も武藤は笑顔で手を振る。「ついでに、武藤雄樹も好きになってくれるといいんですけどね」。最後にひと言、照れ隠しのように付け加えて笑った。【塩畑大輔】