浦和が悲願の10年ぶり国内タイトルを手にした。ここ数年、リーグ戦、天皇杯の優勝を懸けた大一番で敗れ続けてきた因縁の相手、G大阪との決勝戦は1-1のまま延長戦、さらにはPK戦にもつれ込んだ。「勝負弱い」とやゆされ続けてきたクラブには分が悪い展開にも見えたが、PK戦では主将MF阿部勇樹(35)を含めた5人全員が成功。GK西川周作(30)が、G大阪4人目のFW呉屋のキックを止め、ついに歓喜の瞬間を迎えた。

 10年ぶりの「その瞬間」を、どうしても共有したかった。G大阪とのPK戦。5人目のDF遠藤のキックが決まると、浦和の選手たちは2つの喜びの輪をつくった。中心はペトロビッチ監督と、PKを止めたGK西川。しかし1人だけ、これらの輪と違う方向に走る選手がいた。阿部だった。

 スタンドを赤く染めるサポーターに向かって、何度も拳を突き上げた。

 「みんながタイトルを待っていてくれた。どんな喜び方をしてくれているのか、目に焼き付けたかった。あの後でも見られるけど、一番の喜びは、やっぱりあの瞬間じゃないですか」

 11年シーズンに残留争いに苦しんだ古巣を見かね、12年にレスターから浦和に復帰。主将として、毎年優勝争いを演じるまでにチームを引っ張り上げた。しかし、そこからが真の苦難の道のりだった。

 14年には3試合を残し、勝てばリーグ優勝というところまで迫ったが、G大阪にホームで敗れ、そのまま逆転優勝を許した。翌15年も、シーズン初めの3月にゼロックス杯とアジアチャンピオンズリーグで3連敗。その試合後、阿部はゴール裏のサポーターと、激しい言い合いになった。

 強く言い返す。目は血走った。「でもあれは強くなるために必要な意見交換だったと思う」。その後もリーグチャンピオンシップ準決勝、天皇杯決勝とG大阪に敗れ、目前でタイトルを逃し続けた。試合後の取材エリアで、涙を流して悔しがることもあった。

 今回の決勝直前、右肋骨(ろっこつ)の骨折が発覚したが、それでも強行出場。すべては、サポーターと立てた誓いを果たすためだった。「必ず結果を出すから、どうか見守っていてほしい」。

 阿部の思いは周囲にも伝わった。延長後半終了直前。G大阪FW呉屋のシュートを受け、あわや失点の場面で、DF森脇がゴールライン上のボールをしぶとくかきだした。「勝負弱い」とやゆされた、これまでの浦和とは違う姿だった。

 優勝セレモニー。トロフィーを掲げた阿部は、重みが骨折の箇所に響くのを感じた。「そんなのも、今日くらいはいいかなと思いました」。背負い続けた「勝てないクラブ」の十字架をようやく下ろし、泣き虫主将が心からの笑みを浮かべた。【塩畑大輔】

 ◆浦和レッズ 前身の三菱重工は日本リーグと天皇杯を各4度制した強豪で93年開幕のJリーグには創設時から加盟。天皇杯は05年度から2連覇。06年にJ1、07年はアジア・チャンピオンズリーグ優勝。ホームタウンはさいたま市、正式名浦和レッドダイヤモンズ。

 ◆YBCルヴァン杯 今季途中にナビスコ杯から改称された国内3大タイトルに数えられるカップ戦。継続して「同一スポンサーによる世界最長のプロサッカー大会」としてギネス世界記録に認定された。ナビスコ杯は92年開始、特別協賛社のヤマザキ・ナビスコが今年9月から商号をヤマザキビスケットに変えたことに伴い改称された。

 ◆浦和のタイトル 07年のアジア・チャンピオンズリーグ以来9年ぶり。国内タイトルは06年度の天皇杯以来10年ぶり。ルヴァン杯(旧ナビスコ杯含む)は03年以来13年ぶり2度目。過去のJ1年間優勝は06年に1度。天皇杯はJリーグ創設以降、05、06年度と2度。国内3冠タイトルは計5度となる。