京都橘のU-19(19歳以下)日本代表FW岩崎悠人(3年)が、初戦で姿を消した。強敵の市船橋に敗戦。東京五輪世代のエース候補岩崎率いる京都橘と、夏の全国総体王者・市船橋という今大会屈指の好カード。フクアリには1万6061人が駆けつけた。

 立ち上がりから押し込まれた。相手の猛攻に耐え続けた前半26分。敵陣中央約25メートルでFKを獲得した。キッカーの岩崎は直接狙い、思い切って右足を振り抜いた。ボールは枠内に飛ぶも、惜しくもGKにはじかれた。前半35分にはこぼれ球を拾い決定機でシュート。だがゴールポストに嫌われ、先制のチャンスを逃した。エースは「完全に入ったと思った。何でなんすかね」。それでも、岩崎の存在感は圧倒的だった。

 2年だった昨年度までは、代表活動が増えた岩崎のために作られた寮で生活していた。後輩2人との同居生活の中で「自分が持っているモノを残していかないといけない」と気付かされたという。3年では主将となり、部員93人へ積極的に声を掛けるようになった。日々の練習後に「岩崎塾」を自ら開講。得意のドリブルを後輩に伝授した。「橘に入るまでは1人でサッカーをしていた。高校に入ってからみんなでするサッカーの楽しさを知った。本当に橘に入って良かった」。仲間に感謝することを覚え、大きく成長できた3年間だった。

 両親にも支えられた。3年になると寮を出て、滋賀・彦根市の実家に戻った。母弓枝さん(48)に身の回りのことをやってもらえるようになり、岩崎は「代表で遠征も多い中、本当に助かった」。父正典さん(48)は茨城県に単身赴任中だが、週末の岩崎の試合に合わせて仕事を終えた金曜夜に車で出発。往復16時間以上かかる距離も毎試合見に来てくれた。この日の試合も両親でスタンドから見守り、弓枝さんは「周りの人に感謝できるようになった。ここまでよく頑張った。悠人の試合を見られてうれしい」と、息子の活躍に目を細めていた。

 卒業後はJ2京都でプレーする。「3大会連続出場の選手権では無得点に終わったので、大舞台で点がとれる選手になりたい」。17年シーズンからは京都橘OBで、準優勝した14年度にダブル得点王となったFW小屋松知哉(名古屋から移籍)とFW仙頭啓矢(ひろや、東洋大)の京都入りも決定。岩崎は「3人でピッチに立てたら」。悲願の全国制覇が目標だった冬は終わった。それでも岩崎の未来はここから始まる。【小杉舞】