日本プロサッカー選手会、日本サッカー協会とJリーグが10日、共同で東京電力福島第1原発(大熊町)とサッカー施設Jヴィレッジ(楢葉町、広野町)を視察した。20年東京五輪男女日本代表の事前合宿地に決まっているJヴィレッジの復興状況を確認。18年7月の一部再開へ安全性もアピールするため、元日本代表DF岩政大樹(34)らがプロスポーツ選手として初めて原発構内に立ち入った。

 東京五輪の日本サッカー前線基地は、着実に再興への道を歩んでいた。けたたましいショベルカーの工事音が響くJヴィレッジ。岩政は遠い目をしたが、この音こそ復興の鐘だった。一時はピッチ11面のうち10面が、除染所や駐車場など福島第1原発の復興拠点に。美しかった天然芝は砂利とコンクリートで覆われていたが、昨年10月に原状回復工事に着手した。スタジアムの時計は午後2時46分で止まったままでも、芝の再養生は始まっていた。

 原発から約20キロ南のJヴィレッジ。放射線量は0・183マイクロシーベルトだった。東京の2倍弱、国の基準値3・8マイクロシーベルトも下回る。東京五輪で男女代表が直前合宿を張る予定で、18年7月の一部再開、19年4月の全面再開を目指す。3月予定の東電完全退去後は、全天候型の練習場と約5000人収容のスタジアム、天然芝7面と人工芝2面が整備される。

 その復興を加速させるべく選手が動いた。これ以上ない安全性アピール策として、昨季までJ2岡山の岩政、今季からJ2湘南の安東ら5人がプロ選手として福島第1原発を初視察。鉄骨むき出しで、水素爆発後そのままの姿を残す3号機と2号機の間を通ると、線量は383マイクロシーベルトまで急上昇した。一方で14年に燃料取り出しが完了した4号機は7・8マイクロシーベルト。防護服もマスクもしていない作業員と何度もすれ違った。「約6000人の方々が働いていて、時間を前に動かしていた」と岩政。自分の目で回復状況を確かめた。

 この視察は選手会、日本協会、Jリーグが、サッカー界として今年3月に策定する復興支援計画を見据えて行った。日本協会で復興委員長を務める上田栄治理事(63)は「最も体に気をつかうアスリートが原発に入っても大丈夫なら、風評の払拭(ふっしょく)になる」。東京五輪だけでなく「A代表にも来てもらえれば」と期待し、06年のジーコジャパンW杯直前合宿に計6万5100人が訪れた日を思い出した。

 新施設では、プレー中にリアルタイムで技術、戦術を分析できる最新の多角的カメラを導入する計画もある。東京電力の廃炉・汚染水対策の最高責任者、増田尚宏常務(58)も「Jヴィレッジを元に戻す使命がある」と約束した。今日11日で震災から5年10カ月。選手が実際に訪れたことで、Jヴィレッジ復興の輪郭は色濃くなった。【木下淳】

 ◆Jヴィレッジ 1997年にオープンした日本サッカー界初のナショナルトレーニングセンター。福島県の楢葉町と広野町にまたがる約50ヘクタールの敷地内にグラウンド12面(当時)や屋根付き練習場、宿泊施設を備える。東京電力が福島第1原発の増設計画に伴い、福島県に寄贈した。元イングランド代表のボビー・チャールトン氏が命名。02年W杯日韓大会ではアルゼンチン代表がキャンプ地として使用。

<Jヴィレッジ復興経過>

 ▼11年3月11日 東日本大震災が発生。除染など福島第1原発の復興拠点に

 ▼4月 本拠として活動していたJFAアカデミー福島が静岡へ一時移転

 ▼9月 日本代表の西シェフがレストラン再開

 ▼13年6月 サッカー施設の使用再開方針が固まる

 ▼14年5月 福島県の「復興計画プロジェクト委員会」で、19年4月の営業再開を目指すことを確認

 ▼15年1月 営業再開を19年4月から18年7月に一部前倒しする方針に

 ▼7月 環境省が施設の本格除染を開始

 ▼16年2月 20年東京五輪の男女日本代表が、Jヴィレッジで事前合宿することを日本協会が表明

 ▼10月 グラウンドの原状回復工事が始まる

 ▼11月 東電が対応拠点としての建物使用を終了

 ▼17年3月 東電が完全撤退、福島県に返還予定