日本のスポーツ界を長くけん引した岡野俊一郎氏の訃報を受け、関係者からは惜しむ声が相次いだ。

 昨年11月に病院で面会したという日本サッカー協会の田嶋幸三会長は「岡野さんがやられたこと、やり残されたことも含めて、われわれ後輩がしっかりと引き継いでいかなければいけない」と神妙に話した。

 岡野氏が日本代表コーチを務めた1968年メキシコ五輪で、エースとして活躍した釜本邦茂氏は「高校1年の時からユース代表に選んでもらい、ずっと見守ってくれた。自分が選手として成長していく中で必ず岡野さんがいた」と回想した。

 国際サッカー連盟(FIFA)理事を務めた日本協会の小倉純二最高顧問は「五輪の方でも長く働かれて、いろいろな形で世界とのつながりをつくってくれた。僕らもFIFAとのつながりを持てて、その重要性を知ることができた」と感謝の思いを口にした。

 日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恒和会長は「IOC(国際オリンピック委員会)の中で岡野さんほど多くの人に愛されていた方は見当たらない」と悼んだ。