<J2:山形3-2愛媛>◇第44節◇11月30日◇ニンスタ

 山形FW豊田陽平(23)が、四半世紀にわたるクラブの歴史を塗り替えた。勝てばJ1昇格が決まる愛媛戦は、後半40分すぎまで1-2の劣勢。3位仙台の戦況から、このままでも昇格決定だったが、同43分に追いつくと同ロスタイム、豊田が劇的決勝弾を決め3-2の勝利で悲願の昇格に導いた。今季就任した小林伸二監督(48)の指導の下、北京五輪で反町ジャパン唯一のゴールを挙げるなど、チームの飛躍とともに頼もしきストライカーに成長した豊田。小腸破裂、右足骨折など選手生命の危機に接しても、しぶとく根を張り続けて大輪の花を咲かせた男が、日刊スポーツに独占手記を寄せた。

 

 

 

 

 

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 やっとJ1に行けました!

 応援ありがとうございました。昇格が決まった瞬間はウルッときて、泣きそうになったけど、何とか耐えました。(11月23日の)ホーム熊本戦で決められなかったので、本当に今日決められて、うれしかった。僕は在籍2年目ですが、サポーターの皆さんにとっては(J2)10年目の悲願。今年、山形でプレーできたことを誇りに思います。

 名古屋から移籍したのが07年でした。出場機会を求めて移籍先を探す段階で、数チームの候補の中、山形が一番、熱心に誘ってくれた。最初は「モンテディオ山形」って正式名称が言えなかった。薄い印象しかなかったけど、施設面とか十分だったし、ここで自分を成長させようと決意しました。J1昇格を目指すクラブの力にもなりたかった。

 入団後は、けがで何度も離脱し、シーズンを通して活躍することができませんでした。最初は小腸破裂。(07年7月1日、サテライト横浜戦で)振り向きざま死角から相手のひざが入って…。痛くて痛くて、自分がどうなったか分からなかった。入院生活もつらかった。切開した腹をホチキスで止めて、おなか、鼻、股(こ)間に管を入れた。地獄のような生活が3週間、続きました。もう一線でサッカーができないんじゃないかって、めっちゃ不安になりました。当たり所が数センチずれてたら、選手生命は断たれていたでしょう。

 そんな1年目は6得点に終わって、名古屋からの移籍期限(1年)を迎えました。また別のチームでチャレンジするか、1年間やってきた仲間とやろうか-。迷いました。でも「新しい(小林伸二)監督が長身FWを育てるのがうまい」って(中井川茂敏)GMから聞いたんで。成長したい気持ちが強かったし、ぜひ教わって、うまくなりたいなあと思った。

 自分は今までFWとして細かい指導を受けたことがなかったんです。我流でした。その点、小林監督は違った。今までの指導者が知らなかったことを知ってました。ボールの受け方1つ取っても、タイミングとか方向、受ける位置まですべて教わった。次の動きに移りやすくなって、プレーが変わりました。小林監督の指導を、素直に聞いていれば試合で結果が出る。成長していく。山形に来たおかげで、僕は北京五輪代表に選ばれたと思う。

 2年目の今季は開幕から燃えていました。でも、いきなり4月に(右足腓骨=ひこつ)骨折して…。チームも自分も調子がいい時に出はなをくじかれた。当時は五輪代表に選ばれる前だったので、また絶望感を味わいました。全治2カ月の診断。五輪はギリギリ間に合うかどうか。実際は3カ月もかかってしまった。小腸破裂の時は回復が早かったけど、骨折は思うように治らなくて。最後の最後で痛みが引かない。五輪が迫ってるのに治らない。本当にもどかしかった。こんな状況でも五輪に出場できたのは、山形の、みんなの助けがあったから。あきらめずに頑張って良かった。

 (北京五輪ではナイジェリア戦で反町ジャパン唯一のゴールを決めたが)帰国後は、変な期待を感じてました。J2から代表に選ばれ、本戦でも点を取って周囲の見る目が変わった。それで変に、力が入っちゃって。力まなくてもいいのに動きが硬くなったり。帰国後はベストパフォーマンスに、ほど遠かった。自分はプレーに波があって、ちょうど落ちてる時に五輪後のプレッシャーが重なった。悪循環から抜け出すのに苦労したけど「五輪は五輪、過去の話だ」と考えたら変な重圧が消えた。昇格に向けて調子が良くなっていった。

 今年はチームの力になれた手応えを感じています。名古屋時代は主力じゃなくて、チームのパーツとして扱われていた。山形で責任感が増して「自分がやらなきゃ」って思うようになりました。それが得点という明確な結果につながっていると思います。このメンバーで昇格できて、本当に良かったです。去年までなら負けてた試合も今年は勝ててますし、自分もチームも成長できているのかな。

 もう若くないですけど、23歳という年齢で昇格を経験できたことは、必ず自分のサッカー人生のプラスになると思います。今後のことは、しっかり考えようと思っていますが、来年も(山形で)やりたい気持ちはあります。目指していたJ1の舞台に上がっても「もっと点を取る」「自分のプレーをする」という目標は変わりません。これからが大事。来年も死に物狂いで頑張ろうと思っています。(モンテディオ山形FW)