磐田のハンス・オフト監督(61)が18日、残留争いの苦闘ぶりと磐田の未来について本音トークを展開した。シーズン終盤の9月に就任し「人生の一部」とまで言う磐田を、J2降格の危機から救った。82年に日本での指導者としてのキャリアをスタートさせた磐田(当時ヤマハ発動機)で4カ月間、J1残留のためだけに尽力。その舞台裏での苦闘やクラブの将来について、日刊スポーツのインタビューで語った。

 オフト監督は82年に初来日し、Jリーグに昇格した94年から3年間、初代監督として指揮を執った。今季途中に就任し、入れ替え戦の末に残留を決めたその裏には、冷静なチーム分析があった。

 オフト監督

 私が来た直後はフィジカルコンディションが悪かった。目に見えて分かった。最初の3、4週間で上げないと、その時期に勝ち点を取りこぼすことも分かっていたが、最後にもっと取りこぼしてしまうと思った。コンディションが良くなれば1対1に勝ち、自信もつく。メンタルも強くなる。すべてがつながっている。

 就任直後は結果が出なかった。だが残留のターニングポイントは、就任3日目の9月23日、味スタで意外にも1-5と大敗しリーグ戦3連敗となった東京戦だった。

 オフト監督

 おかしいと思うかもしれないが、1-5で負けた東京戦の後半、いいものが見られた。声、全体の動きが良かった。これは行けるな、と思った。だからその後、勝ち点3を取るんだという気持ちで練習ができた。体も気持ちも、道具はそろっていた。

 同監督が唯一、色を出したのがMF松浦だった。就任直後から先発で起用。入れ替え戦ではチームの全得点(3点)を挙げ、降格危機から救った。

 オフト監督

 彼のプレーは好き。必要な技術をすべて持っている。ボールタッチ、パススピード、動き方、全部できる。私が磐田に残ってスタイルを築くのであれば、彼がそれを体現することになるだろう。

 今後の磐田を強くするにはどうすればいいのか?

 J創生期を知る同監督は、現代のチームづくりの方法論を説いた。

 オフト監督

 かつてJには非常に高いレベルの外国人がいた。レオナルド、ジョルジーニョ、ジーコ、ブッフバルト。ワールドクラスが来て、日本人の見本になった。だが、年俸が高騰し日本のクラブが獲得できなくなった。そういう状況で必要なのは若手を育てること。今の外国人は日本人の見本にならない。上がないなら下から押し上げないと。

 就任当初は、来季を含めた1年半の契約を打診されていた。だが「今年残り4カ月に集中して残留しようと言いながら、私が1年半の契約をしては説得力がない」と、今季限りでの契約にした。磐田の未来を考え「新しい血が必要」と決断。オフト監督がつなぎ留めた磐田の再出発に来季、目が離せない。【栗田成芳】