政府は3日付で2009年秋の叙勲受章者を発表した。サッカー界初の旭日重光章の受章に、日本サッカー協会の川淵三郎名誉会長(72)は「サッカーのおかげで豊かな人生を送ることができている」と、満面の笑みを浮かべた。

 日本サッカー界の躍進期を先頭に立って支えた川淵名誉会長は「オレの人生は本当に運がいい。サッカーをしなかったら、人生はどうなったのかな?」と、しみじみと語った。

 大阪府三国丘高1年の時、クラスメートからの「サッカーをやると(全国大会のある)四国にいけるんだよ」の言葉にひかれて、サッカーを始めた。早大を卒業後、古河電工に入社。東京五輪に出場し、日本代表監督も務めたが、51歳で関連会社への出向を命じられて退社を決め、サッカー協会に入った。「サッカーのおかげで豊かな人生を送ることができている。感謝、感謝です」。「地域に根ざすクラブ作りを理念とするJリーグが認められてすごくうれしい」と続けた。

 Jとともに栄光の人生を歩んだが、谷もあった。「横浜FとMが合併したことが一番記憶に残る。当時は会議中に目が潤んで見えなくなって病院に行ったら、血圧が200を超していた」と振り返る。今後は「アジア全体のプロ化と、国内では『こころのプロジェクト』などに積極的にかかわっていきたい」と、アジアと日本のサッカー界の発展へ、力の限り尽くしていくつもりだ。【盧載鎭】