東日本大震災で中断していたJリーグが今日23日、48日ぶりに再開する。

 仙台と対戦する川崎FのMF稲本潤一(31)は、阪神・淡路大震災を経験した少年時代に感じたスポーツ選手としての使命感を胸にピッチに立つ。稲本は震災直後、複雑な気持ちを抱いていた。リーグ戦が中断となり、余震の影響でクラブの全体練習は1週間以上も中止となった。

 稲本

 被災地に行って病気が治せるわけではない。原子力発電所に行っても機械は直せない。人命救助も手助けできない。試合がないと、本当にサッカー選手は、社会からは必要がない存在だと強く思った。

 やり切れない思いと同時に、あの時の記憶がよみがえった。95年1月17日、早朝に起きた阪神・淡路大震災。中学生だった稲本は、大阪・堺市の自宅で大きな揺れに襲われた。幸い、家族は全員無事で、自宅に大きな被害はなかった。それでもサッカーボールを蹴ることのできない日々が続いた。自分より過酷な生活を強いられた知人や友人を知り、心を痛めた。

 そんな稲本の心に光を差したのが、プロスポーツだった。神戸のプロ野球オリックスが「がんばろう

 KOBE」のスローガンを掲げ、選手たちが避難所で炊き出しなどの復興支援活動を行った。その年、チームはリーグ優勝を遂げ、稲本も夢中になったという。

 稲本

 (震災を)忘れるわけじゃないけど、少しでもつらいことを忘れて楽しめるのがスポーツ。地元チームの活躍は、自分も子どもなりにありがたかった。

 自分も地元のために-。その思いで、稲本はG大阪ユース在籍時の17歳でトップデビュー。02年W杯で2本のゴールを決め、欧州クラブで活躍するまでの選手になった。

 今回の震災を受け、自分の無力さを感じた。それでも夢を追うきっかけになったオリックスの快進撃に、プロスポーツ選手の使命を学んだことも思い出した。

 稲本

 自分はそこまで被害を受けた身じゃないけど、オリックスには勇気づけられた。サッカー選手としての自分にできることは、やっぱりファンを魅了するプレーしかない。

 リーグ再開を直前に控えた今、再びサッカーができるありがたさを再認識している。23日の相手は、地震の被害を受けた仙台。

 稲本

 日本中が注目する試合になると思う。世間の目も仙台に向くと思う。だからと言って、手を抜くことは許されない。自分たちが全力でやってる姿を見て、1人でも多くの人が感動してくれたらいい。そんな試合をしたい。

 プロの誇りを胸に、ピッチを駆け抜ける。【由本裕貴】