五輪選考の東京マラソンで14位と惨敗した市民ランナー川内優輝(24=埼玉県庁)が27日、レースから一夜明け、ざんげの「五厘」刈りで現れた。「期待に応えられず誠意を示したかった」と話し、「さらし者になった方がいい」とまで言い切った。昨年12月の福岡国際の日本人トップとして五輪候補にもかかわらず、あらためて「そういう舞台に行けなくて申し訳ない」と終戦を宣言した。

 勤務する春日部高校の昼休み。川内は「修行僧」となって現れた。青々と頭を丸め、神妙な顔つき。約50人の報道陣が色めき立つ。手の指をきっちり伸ばし、直立不動で話し始めた。

 川内

 応援してくれた方、期待してくれた方が大勢いた。期待に応えられなかったということで、何かしら誠意を示したかった。

 前夜、母美加さんに頼んでバリカンで刈り上げた。学習院大2年で箱根を走り、期待されながら翌年(3年)は予選落ち。「それ以来の丸刈りです」。長さ1ミリほど、俗に言う五厘刈りだ。「母からはそこまでしなくてもと言われたが、ケジメをつけなければ」。多くの激励メールが届いたが返事はしていない。27日は入学願書の受け付け作業があり、朝8時半から勤務。職場は「そこまでやったか…」の雰囲気になった。それでも「それくらいさらし者になった方がいい」。7分台を宣言しながら2時間12分51秒と散り、自らを卑下した。

 敗因を問われると、再び給水の失敗を挙げた。これまでのレースで徹底して練習を積んできた。自信を持って臨んだ本番で5キロ、10キロと2度連続してボトルを見失ったことを悔やむ。「冷静さを欠いていた。マラソンは一瞬、一瞬のことが響く」。福岡の日本人トップ選手としてなお有力候補の1人だが、レース直後と変わらず終戦を宣言した。

 川内

 福岡は練習の一環でたまたま勝てた。本番ととらえた東京で明らかに失敗した。みんながロンドンに行くと期待してくれた。結局、自分の力不足。そういう舞台に行けなかったのは申し訳ない。

 3月4日のびわ湖マラソン当日は友人の結婚式に出席し、レースは見ないと言う。自ら強引に五輪への未練は断ち切り「次のオリンピックの機会があればもっと力をつけて戦いたいが、今は東京の結果を受け入れ、今後の糧にしたい」。30分間の会見は終始、ざんげの言葉でつづられた。【佐藤隆志】

 ◆川内の今後スケジュール

 次のレースは3月11日の地元の埼玉シティーハーフマラソン。4月29日に初の海外参戦。ドイツ・デュッセルドルフマラソンで「日本人の強さを示したい」。5月は仙台、岐阜、富山のロードレースと3週続けて出場し、6月は隠岐の島ウルトラマラソンで再び50キロに挑戦。秋以降は未定だが、12月の福岡国際への出場意思は示しており、「7分台を出したい」という。

 ◆男子マラソンのロンドン五輪代表選考

 昨年9月の世界選手権と12月の福岡国際、今月26日の東京、3月4日のびわ湖が対象レース。具体的な設定基準はなく、各レースに1キロ3分で25キロまでペースメーカーを付け、レース内容を考慮。各大会の上位から「五輪での活躍が期待できる」3人が選ばれる。福岡は川内が2時間9分57秒で日本人トップ。東京は藤原が2時間7分48秒、前田も2時間8分38秒。藤原は確実で、前田も候補に名乗りを上げた。世界選手権7位が評価される堀端は、びわ湖の最有力選手。3月12日の理事会を経て、当日発表される。