「準優勝は、敗者だ。」。強烈なコピーが日刊スポーツの1面に載ったのは、9月1日だった。全国高校軟式野球の準決勝、4日がかりで延長50回、中京(岐阜)と崇徳(広島)の激闘を伝える記事の下に、スポーツサングラスなどを扱う「ルディ・プロジェクト」の広告が掲載された。

 勝ち負けを超越した高校生のドラマの下に「準優勝は、敗者だ。」。タイミングがいいというか、悪いというか。「その通り、勝った中京はすごい」とうなずく人もいたはずだ。「負けた崇徳がかわいそう」と反発した人もいたかもしれない。いろいろと考えさせられるコピーだった。

 そんな「準優勝」に日本中が沸いた。テニスの全米オープンで決勝進出を果たした錦織圭が、一躍時の人になった。92年ぶりのベスト8、96年ぶりの準決勝進出。世界1位のジョコビッチ(セルビア)を下し、日本男子で初めて4大大会シングルスの決勝に進んだ。

 決勝の相手は「格下」のチリッチ(クロアチア)。最新の世界ランクで8位の錦織に対し、相手は12位だった。直近の対戦でも相性は良かった。錦織だけでなく、日本中が「グランドスラム初制覇」を期待した。

 ところが、決勝では1セットも取れずに完敗。確かに相手は素晴らしかった。高角度のサーブで、最後までペースに乗れなかった。ただ、錦織の「らしさ」が見られなかったのも事実。決勝進出だけで十分に「勝者」だっただけに、よけい決勝戦は残念だった。「勝てる」と思って臨んだ錦織も、悔しかったと思う。

 思い出したのが、96年前の全米選手権(全米オープンの前身)で4強入りした熊谷一弥のこと。錦織の活躍で約1世紀ぶりに注目されたが、面白かったのは長男、一夫さん(86)の話だった。「昔話は全米の話ではなく、五輪銀メダルのこと。”なぜ金メダルをとれなかったのか”といつも残念がっていた」という。

 熊谷の銀メダルは、日本の五輪史で初めてのメダル獲得。全競技を通じて初めてのメダルだったが、本人に喜びはなかった。32年発刊の日本テニス協会10年史では「その夜ほど、悲憤の涙にくれたことはない」と回想している。ショックの大きさは、表彰式に在ベルギー大使館員が代理出席したことでも分かる。日本人初の表彰台に、戦った選手はいなかったのだ。

 世界最強の米国は欠場。決勝の相手、南アフリカのレイモンドは「格下」だった。本人も勝つ気十分だったが、疲労で本来のテニスができなかった。同五輪の選手団報告には、決勝敗退も「残念だった」とあるだけ。銀メダルをたたえる言葉は、どこにもなかった。「準優勝は、敗者だ。」であったのは間違いない。

 テレビや新聞は「よくやった錦織」のトーンだったけれど、決勝戦だけをみれば「よくやった」は違和感がある。ただ、本人が準優勝を「敗者」だと認め、さらに「勝者」を目指そうとするなら、その敗退自体が意味のあるものになる。

 柔道世界選手権男子100キロ級の七戸龍は決勝で敗れた。絶対王者のリネール(フランス)を苦しめたものの銀メダル。「敗者」なのだ。「周囲は意外なほど『よくやった』と言ってくれたけど、負けは負け。悔しい」と七戸。その気持ちがあれば、リオ五輪での金メダルが期待できる。

 レスリング世界選手権では、男子フリー74キロ級の高谷惣介が銀メダルを獲得した。世界の選手層が厚いこの階級でのメダルは快挙だけど、まだ上がある。出発時に「金メダルをとってきます」と話したことを忘れなければ、これもリオで金の可能性はある。「準優勝は、敗者だ」。優勝を期待する選手、期待できる選手にとっては、これほどバネになる言葉はない。