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真央4位 シニア22戦目で初メダル逸/09年

◇2009年3月28日・5日目◇米ロサンゼルス・ステーブルズセンター◇女子フリー

 【ロサンゼルス(米カリフォルニア州)28日=高田文太】日本人初の2連覇に挑んだ浅田真央(18=中京大中京高)は合計188・09点で4位に終わった。ショートプログラム(SP)3位で迎えたフリーで、トリプルアクセル(3回転半ジャンプ)で転倒するなど精彩を欠き、05年のシニア転向後、初めて表彰台を逃した。女子初の200点突破となる207・71点で初優勝したライバルの金妍児(18=韓国)に、過去最大の19・62点差をつけられた。07年女王の安藤美姫(21)は190・38点で3位。日本女子は上位2人の合計順位が「13」以内となり、来年のバンクーバー五輪の出場枠3を確保した。

 海外メディアの厳しい質問に、浅田は黙ってしまった。リンク裏の通路で「200点を出す選手が現れたということは、連覇できなかったあなたよりも優秀な選手が現れたということか?」と聞かれ、口を真一文字に結んだ。視線が泳ぎ、数秒が経過すると、付き添っていた関係者の女性が強い口調で「彼女はベストを尽くしました」と言い、割って入った。直後に取材は打ち切られ、浅田は女性に寄り添うようにして引き揚げた。

 SPで金に10・06点の大差をつけられた。従来の黒から赤紫に衣装を変えて臨んだフリーは、2度のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)成功が逆転には不可欠だったが、2度目で転倒した。日韓両国の旗が揺れ、約1万2000人の観衆で埋まったスタンドからはため息が漏れた。成功すれば9点前後の大技は回転不足などで減点され、0点。連続3回転を回避し、難度を下げた3―2回転も回転不足となるなどミスが続き、シニア転向後22戦目で初めて表彰台を逃した。

 今季のフリーは男子のトップ選手並みに難度の高い構成に挑んだ。一方で昨季からの課題だった、ルッツの踏み切りの修正にも取り組み「新しいジャンプをやるつもりで1回転から始めた」(浅田)。だが、タラソワ・コーチに直接指導を受ける機会は少なく、今年に入ってからの合宿は2~3月にモスクワで約10日間行った程度。その中で基礎の再確認と難度の追求という難しい目標を掲げたが、結局、中途半端なままだった。関係者は「結局、ルッツの不安が全体に影響してしまった」と説明した。

 「いいライバル。刺激になる」という金にシニア7度目の対決で初めてSP、フリーとも敗れた。合計19・62点差は過去最大。浅田が06年12月のNHK杯で出した199・52点を塗り替えられた。直接対決は今季1勝2敗、通算3勝4敗。それでも「今季はすごく充実していたし、満足している。大舞台を3回経験できたので来季につながる」と必死に前を向こうとした。

 今季最終戦を終えた解放感はあったが、表情は険しかった。「来季は毎試合パーフェクトにできるようにしたい。五輪まで少ししか時間がないので練習を頑張りたい」。5歳からの競技人生で最大の屈辱を味わった日に、バンクーバー五輪に向け新たな闘志が芽生えた。

美姫銅メダル「やっとカムバック」

情感豊かに演技する安藤美姫(撮影・浅見桂子)
情感豊かに演技する安藤美姫(撮影・浅見桂子)

 表彰台で、安藤は誰よりも笑顔を見せていた。会場の大声援に気持ち良さそうに手を振ったかと思えば、感慨深げな表情で天を仰いだ。07年の世界選手権を制したが、連覇に挑んだ昨年は左足の故障で途中棄権。度重なる故障もあって、昨季終了後には本気で引退も考えた。モロゾフ・コーチに「ミキをこのままで終わらせたくない」と説得され、思いとどまった。「メダルを取りたいと思って取れたので意味がある。やっとカムバックできた」。2季ぶりのメダルに酔いしれた。

 1週間前までは、まともにジャンプもできなかった。約3週間前の練習中に左太もも裏を痛め、その後の1週間はジャンプ練習なし。約2週間前から再開も、調子は上がらなかった。それがこの日は回転不足が1度あった以外は、ほぼ完ぺきに跳んだ。代名詞の4回転や連続3回転は足の状態やモロゾフ・コーチの意向もあって回避した。ジャンプの正確さと、向上した表現力で久しぶりに存在感を示した。

 モロゾフ・コーチは「周囲には『美姫はもう成長しない』という声もあったがメダルを取った。日本連盟には、僕のやり方に口だししてくる人もいるが、誰にも邪魔されなければこうして結果も残せる」と胸を張った。「氷の上で泣いて練習にならないこともあった」と振り返る安藤は「少しずつだけど成長できている。バンクーバー五輪までに連続3回転や4回転をしっかりと入れた演技をしたい」と笑った。忘れかけていた自信と輝きを取り戻した21歳の元女王が、バンクーバー五輪で再び頂点を目指す。

織田4度目!!跳びすぎミスで7位

◇2009年3月26日・3日目◇米ロサンゼルス・ステーブルズセンター◇男子フリーほか

 【ロサンゼルス(米カリフォルニア州)26日=高田文太】織田信成(22=関大)が“跳びすぎ”でメダル獲得の好機を逸した。ショートプログラム(SP)7位で臨んだフリーで、試合で初めて4回転ジャンプに成功。だが3回までと定められている連続ジャンプを4回跳んだとみなされ、大量に減点された。141・67点で、合計218・16点で7位に終わった。小塚崇彦(20=トヨタ自動車)は合計222・18点で6位。日本男子は、各国上位2人の合計が13位以内で与えられる来年のバンクーバー五輪の最大出場枠3を、ぎりぎりで獲得した。

 織田は笑顔で得点発表を待っていた。冒頭で4―3回転ジャンプを決め、SPの時のような転倒もない。しかし得点は、06年NHK杯でマークした自己ベストより19・34点も低い141・67。試合で初めて4回転を成功させ、うれし涙さえ見せていた織田の表情は、一瞬にして凍り付いた。

 2つ目の3回転半―3回転トーループは前半で着氷が乱れ、後半を省いた。これが混乱のもとだった。続く3つ目の単発の3回転サルコーに、直前で省いた3回転トーループを慌てて付け足した。「3回転半のコンビネーションが入らなかった時は、次に3回転トーループを入れれば良いと思っていた」。大きな勘違いだった。

演技終了後、感極まって泣きじゃくる織田信成(中央)。右は母の織田憲子コーチ。左はニコライ・モロゾフコーチ(撮影・浅見桂子)
演技終了後、感極まって泣きじゃくる織田信成(中央)。右は母の織田憲子コーチ。左はニコライ・モロゾフコーチ(撮影・浅見桂子)

 4つ目は単発の3回転半。結果的に単発3回転半となった2つ目と同じで、「同じ種類の3回転(3回転半を含む)は2度跳べない」という規定に引っ掛かった。今回の場合、罰則の一形態として、シークエンス(連続ジャンプにつなぎを入れる代わりに基礎点は本来の0・8倍になること)扱いになり、計3つ目の連続ジャンプとみなされた。そのため6つ目の3―2―2回転が、「連続ジャンプは3回まで」の規定に抵触した。基礎点だけで12・10点もある3―2―2回転は痛恨の0点。シークエンスも含め、この2つで約14点も基礎点が落ちた。

 3位ジュベールとの得点差は17・81。予定通りの内容をすべて成功させていたら、あと16、17点は伸ばせ、メダルも見えていた。4回転失敗時の対策ばかりに目がいき、日本連盟の吉岡強化部長は「もっとシミュレーションを立てておくべきだった」と反省。織田が8位以下なら五輪枠は2以下だっただけに、ヒヤヒヤものだった。

 「4回転に集中していて他がおろそかだった。自分のミス」と織田。過去2度の世界選手権、トリノ五輪代表がかかった05年日本選手権に続き、ここ一番でまた跳びすぎた。ただ、「4回転を跳べたのは大きな成長」と自信もつかんだ。次につながった、といい方向に考えるしかない。









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