メダル獲得の裏には母のような恩師の存在があった。リオデジャネイロ・パラリンピック陸上女子400メートル(切断などT47)銅メダルの辻沙絵(22=日体大)が4日、同大の世田谷キャンパスで行われた「障がい者スポーツフォーラム」に出席し、メダル獲得までの秘話を語った。

 あの日から約3カ月-。辻は同大陸上部障がい者アスリート部門の水野洋子監督(47)とリオ大会を振り返った。2人とも初のパラリンピック。不安や緊張の連続の日々だった。「世界選手権は全く緊張しなかったのに『失敗したらどうしよう』と、不安しかありませんでした。観客の数や声援…。これまでの大会とは違って、自分の心臓の音しか聞こえないぐらいでした。これがパラリンピックかと肌で感じました」。辻は当時を思い返すように言った。

 記録は1分0秒62。電光掲示板を確認して3位と確信した。「メダルが取れて良かった」。安堵(あんど)が徐々に涙へと変わっていった。

 15年3月。小5から続けてきた大好きなハンドボールをやめて、陸上へ転向した。高校は今年ハンドボールで3冠を達成した強豪の水海道二高(茨城)で、ハンドボール漬けの生活を送ってきた。健常者と全国の舞台で戦ってきた自負もあり、大学側から陸上を打診された時は葛藤もあった。「ハンドボールをやめて自分でも良かったと思えるように。後悔しないように」と考え、メダルを獲得した時は「夢のような瞬間でした」と言った。

 辻を支えたのが水野監督だった。二人三脚で練習に取り組み、親子のように密なコミュニケーションを図った。競技以外のことも、互いに本音で話し合い、信頼関係を築いてきた。親子に間違えられるほどの距離感だった。

 400メートルの決勝前日。辻は部屋で号泣した。「不安で頭がおかしくなった。ベッドと壁の間に挟まり、『嫌だ!!』『嫌だ!!』と何度も叫んでいました。こんなの初めてでした」。翌日、水野監督に競技場へ送り出されて、再び、泣いた。「『失敗しても次がある』『今までこれだけやってきた』。最後は『ダメだったとしても、また日本に戻って一から一緒に頑張ろう』と言われて…。こんなに私のことを思ってくれて、精神面まで支えてもらったなと強く感じました」。

 リオ大会で日本のメダル獲得数は、12年ロンドン大会の16個を上回る24個と健闘したが、初めて金メダルゼロに終わった。20年東京大会に向けて、各競技団体の選手発掘や競技力向上が急務とされる。メダリストとなった辻は、講演会などで「女性コーチとスタッフを増やすことが競技力向上へつながる」と訴える。五輪競技に比べて、パラリンピック競技は環境整備が整っていないのが現状だ。

 東京大会まで4年を切った。辻は自身の経験をもとに、メダリストの使命として障がい者スポーツの普及と金メダルを目指す覚悟だ。【峯岸佑樹】