競泳で4大会連続五輪に出場した松田丈志(32)は他競技、俳優、コメンテーターと、挑戦を続けている。9月の引退会見から3カ月。水泳漬けの日々から一転、初めてで慣れない仕事やイベントをこなす毎日を送る。4歳から宮崎・延岡のビニールハウスで囲まれたプールで水泳を開始。今夏のリオデジャネイロで4大会連続五輪出場。五輪後、雑草からメダリストに到達した水泳人生には区切りをつけた。今は水泳に代わり、人生を懸けられる新たな何かを模索している。【取材・構成=田口潤】

●ドラマ「ラストコップ」で体育教師役

 まさに今、自分を探している。松田は11日にはハワイでホノルルマラソンに出場。初マラソンで5時間切りに成功した。11月には日本テレビで放送されたドラマ「ラストコップ」で、体育教師役として俳優に挑んだ。その合間には講演活動、テレビコメンテーターなどをこなし、アンチドーピング活動なども積極的に行っている。

 松田 いろいろなことに挑戦することで、自分自身の価値を上げたい。ドラマでは、たった3行のセリフを覚えられず悪戦苦闘。うちのめされた。大変だったけど、その中に楽しみもあった。

 4歳から地元宮崎・延岡市のビニールハウスのプールで、久世コーチと練習を続けた。当時地元には本格的なスイミングクラブがない。屋根の代わりにビニールハウスを覆った。夏は暑くて冬は寒い。高校卒業までは、そんな過酷な環境が拠点だった。以来、ほぼ毎日、1日平均15キロを泳いできた。その結果が4大会連続五輪出場。銀1個、銅3個のメダル獲得につながった。

 松田 「水泳がない寂しさは、まだない。逆にこんな穏やかな日があるのかと。起きて練習をしなくていいと思うと、ホッとする。寝ていても練習する夢を見ていたから。今はそんな夢を見ることもない」

 あらゆることを犠牲にして競泳一筋に懸けた人生は幕を閉じた。解放感に浸る一方で、第2の人生の道を真剣に探る。競泳と同じように人生を懸けるものはあるのか。日々考え、模索する毎日だ。

 松田 「水泳しかやってこなかった人間。一区切りをつけて、今度は自分が何が1番、水泳以外でやりがいを感じて、やっていて楽しいと思えるか。今は自分でもわからない」

●競泳人生、人に伝える部分が1つの軸

 引退から3カ月。まだまだ次の答えは出ていないが、大きな軸はぼんやりと見えてきている。それは「伝える」ということ。

 松田 「人に伝える部分が、1つの軸になりそう」

 現役生活を振り返った講演活動、子供たちへの水泳教室。自ら築いた競泳人生を次世代に伝える。10月の競泳W杯東京大会ではテレビ解説も務めた。

 慣れ親しんだ競泳だけではない。同月には低迷を続けるスケートのショートトラックの長野・野辺山合宿に参加。メダルラッシュを続ける競泳のチーム力の大切さなどを現役アスリートに伝えた。来年2月にはプロ野球キャンプ、札幌で開催される冬季アジア大会の取材もする予定。宮崎の地元紙、宮崎日日新聞では月1回のコラムも始まる。

 松田 「ただ伝えるだけだと、昔のふんどしで相撲を取るだけの人間になるし、いつかからっぽになる気がする。同時進行で、自分自身の挑戦も続けながら、いろいろなことを学んでいきたい」

 マラソン、俳優に続き、今後はトライアスロンにも挑戦。「しばらくは体を張っていく」と笑うが、さまざまなことを実体験することで、必死に次の何かを見つけようとしている。

 松田 「どの現場に行っても学びはあるし、そこのプロフェッショナルがいる。そこにスキルと経験がある。どのスキルを磨いていくのか。自分が決めないといけない。自分は、早い段階で水泳で飯を食うと決め、技術を磨いてきた。新たにかじを切るタイミングはくる。何で飯を食うか」

 ただし、競泳の指導者に関しては今のところまったく視野に入れていない。28年間、マンツーマンで久世コーチから指導を受けてきた。選手を育てることの過酷さと厳しさを間近にしてきた。「大変さが分かるから」と、安易に指導者の道を選択はできない。

 松田 「まあ、今は何者にもならなくていいのかなと思っている」

 真摯(しんし)に競技に取り組んできたからこそ、焦らずじっくりと次の道を探していく。(敬称略)

 ◆松田丈志(まつだ・たけし) 宮崎県延岡市出身。04年アテネ五輪出場。アテネでは400メートル自由形で40年ぶりの決勝進出を果たすもメダルに届かず。08年北京五輪200メートルバタフライで銅メダル獲得。3度目の五輪出場となった12年ロンドンは競泳チームのキャプテンとして同種目で銅メダル。また400メートルメドレーリレー決勝で日本競泳史上初となる銀メダル獲得に貢献。今年、4大会連続で出場したリオデジャネイロ五輪の800メートルフリーリレー銅メダル獲得。帰国後の国体を最後に引退を表明した。