1964年東京五輪のバレーボール女子で金メダルを獲得し「東洋の魔女」と呼ばれた日本代表の主将で、10月に80歳で死去した中村(旧姓河西)昌枝さんをしのぶ会が9日、東京都内のホテルでバレーボール界関係者ら約500人を集めて開かれ、ともに五輪に出た寺山(旧姓宮本)恵美子さんは「河西さんあっての私たちだった。偉大でした」とあいさつした。

 中村さんはセッターで、故大松博文監督が率いた代表チームと、実業団の日紡貝塚の中心選手だった。メンバーだった井戸川(旧姓谷田)絹子さんは「助監督のようだった。母であり、お姉さんでもあった」とその存在の大きさを口にした。

 引退後はママさんバレーの普及や発展に尽力し、2008年に世界バレーボール殿堂入りした。20年東京五輪の招致成功も喜んでいたそうで、寺山さんは「(20年には)聖火ランナーとして走り、開会式を見て、好きなバレーボールを応援すると言っていた」と死を悼んだ。