<W杯スキー:ジャンプ>◇個人第5戦◇14日◇イタリア・プラジェラート(HS140メートル、K点125メートル)

 W杯本格参戦2年目の湯本史寿(24=東京美装)がW杯初優勝を果たした。1回目に最長不倒の126メートルを飛んでトップの114・8点、強風のため2回目が中止となって金星が転がり込んだ。日本勢の優勝は、05年2月札幌大会の船木和喜(フィット)以来4季ぶり。通算では99年3月に初優勝した宮平秀治に続いて11人目となった。

 湯本は今季3勝のシモン・アマン(スイス)を飛距離で1・5メートル、得点で1・2点抑えて初めてW杯を制した。初めての表彰台となる伏兵は「アプローチ(助走路)に気をつけて飛んだら風もついてきた。驚いているのが本音」と驚きを隠さなかった。

 社会人4年目の昨季、初めてW杯の海外遠征メンバーに選ばれたが、最高位は国内札幌大会の22位、総合では58位。世界選手権札幌大会代表に選ばれたが、出場機会はなかった。だが、05~06年シーズンから就任した全日本のカリ・ユリアンティアラ監督が指導する下半身強化のメニューを黙々とこなすことで地力をアップ。今季は助走でひざの角度と、踏み切りで足への力の伝え方を改善。11月29日の今季開幕戦クーサモ大会(フィンランド)では、自己最高の8位をマークしていた。

 関係者が「ノミの心臓」と指摘していた精神的な弱さも克服した。この日は雪と強風の厳しい条件だったが、助走路の滑りに集中。菅野範弘チーフコーチは「雪と風に動じず自分のジャンプができていた」と、同じ東京美装所属の愛弟子の快挙を評価した。4季前の船木の優勝も、札幌の大荒れの天気が呼び込んだもので、同チーフコーチは「(天候が変わる)札幌に似た感じ。欧州の選手はこういう悪条件をあまり経験していない」と話した。

 湯本は「必ずトップテンに入る力はまだないが、自分のやってきたことを続ければいいと思う」と控えめだが、日本勢のW杯表彰台は07年1月のガルミッシュパルテンキルヘン大会(ドイツ)で葛西紀明(土屋ホーム)が3位に入って以来。10年バンクーバー五輪へ、低迷から抜け出そうともがく「日の丸飛行隊」の救世主として急浮上した。