【リベレツ(チェコ)27日=松末守司】複合ニッポン復活の裏には、地道な若手育成があった。26日の複合団体で、日本が7大会、14年ぶりに金メダルを獲得した。大会史上に残るデッドヒートを制し、劇的な優勝を飾ったが、エース高橋をメンバーから外す大胆な戦略が的中した。また、低迷が続きながらも、積極的に若手を海外遠征に送り出すなど、地道な努力を続けてきたことも今大会の成功の大きな要因だった。日本が頂点に立った勝因を探った。

 日本複合チームが高らかに復活を遂げた。2位ドイツとタイム差なしの史上まれにみる激戦だった。長い低迷期を経て、再び頂点に立った背景には、2つのキーワードがあった。

 ◆作戦的中

 今大会の複合日本代表は5人。W杯の上位選手からの選出だが、距離の強い選手が小林、湊、渡部、ジャンプが高橋、加藤と、距離型のほうが多かった。今季から、個人、団体ともに距離の比重の大きいルール変更があったが、実は日本は距離への対応は遅れていた。しかし、ふたを開けてみると、22日の個人では小林、湊の2人が入賞。コーチ陣は距離の強い選手でないと勝負にならないことを確信すると、団体では、距離に不安を残すエース高橋を外す大胆な編成に踏み切った。

 初めて金メダルを獲得したアルベールビル五輪でも当時エース格の阿部雅司がメンバーから外れた。阿部は現在、日本チームのコーチ、そして金メンバーの1人の河野がヘッドコーチ。この作戦を身をもって経験していた2人が、チームに帯同していたことも大きかった。

 ◆若手育成

 98年長野五輪でメダルなしに終わってから、底辺拡大のため若手育成に着手した。W杯の下部大会W杯Bに若手を積極的に参戦させた。メンバー4人もW杯Bで戦い、世界を体感し、力をつけAに昇格してきた選手たちだ。また五輪、世界選手権にも若手枠を作ってきた。小林は01年ラハティ大会に高3で出場。06年トリノ五輪では渡部が高2で出場と早くから大舞台を経験してきた。成田収平・複合部長は「長期で育成してきた。強化費が少なくなってもジュニアの育成費は削らなかった。上と下が競い合って相乗効果が生まれた」と話す。

 ただし、運が味方した面もある。フィンランドはW杯総合1位のコイブランタが発熱で出場できず、今大会2冠のロドウィック擁する米国は1走が失格するアクシデントがあった。また、ワックスが当たる幸運にも恵まれた。小林は「少し浮かれてまた気持ちを切り替えたい。五輪で結果を出す」。エース高橋もこれをきっかけに奮起するはず。新生日本まだまだ強くなる可能性を秘めている。