<2008年8月11日付日刊スポーツ紙面から>

 柔道女子52キロ級の中村美里(19=三井住友海上)が、日本初の平成生まれのメダリストになった。準決勝で敗れたが、3位決定戦で金京玉(韓国)に快勝して銅メダルを獲得した。本人は「金以外は同じ」と悔し涙を流したが、「谷亮子の後継者」といわれたニューヒロインが、ようやく世界で才能を開花させた。12年ロンドン五輪では日本女子柔道のエースとして世界の頂点を目指す。

 平成生まれ初のメダリストに笑顔はなかった。「金メダルが欲しかったんで、悔しいです」。「谷さんに続く銅メダルですよ」の声にも「金以外は同じです」。左目から涙がこぼれると「悔し涙です。納得できません。もう少しいいとことろを見せたかったのに」と唇をかんだ。

 初の五輪は厳しい戦いの連続だった。初戦の2回戦タラングル戦はゴールデンスコア方式の延長戦で相手が指導を受けて辛くも突破。3回戦は小外刈りで奪った効果を守りきった。準決勝のアン・グムエ戦ではパワーに圧倒され、1分すぎに指導を受け、そのままタイムアップ。「相手の方が全然強かった…」。世界トップとの力の差を痛感した。だから初メダルも喜べなかった。

 金京玉との3位決定戦では「自分を出す」ことだけを考えた。1分すぎに小外刈りで有効を奪い、そのまま上四方固めで快勝した。女子柔道では92年バルセロナ大会の田村亮子以来の10代でのメダル獲得だったが、応援団の「よくやった」の声にも、中村はクスリとも笑わなかった。

 05年12月、福岡国際女子を高校1年で制して「YAWARA2世」と脚光を浴びた。だが、直後から身長が伸び、筋力がついて減量に苦しんだ。母美智代さん(42)は「ご飯ははしの先に少しだけ乗せて一口。水はおちょこ1杯だけ。あのころは見てられなかった」と振り返る。柔道の成績も下降した。

 52キロ級に転級した昨秋に転機が訪れた。「谷さんとも試合をしたかった。階級を上げたら48キロ級で逃げたと言われるのが嫌だった。でも北京を目指すなら、と決断しました」。同時に成績も急上昇。07年世界選手権銅メダルの西田を退け、代表をつかんだ。

 抜群の運動能力を誇る。水泳は小学校低学年ですべての泳法をマスター。小学校では少年野球チームで外野や二塁を守った。柔道では切れのある足技を得意とする。男子代表の平岡らが「あれはすごい。教えられてもできない」と話す。

 初の五輪を終えた19歳は、最後まで反省ばかりを口にした。「準決勝は力で対抗しようとしてしまった。相手の力を利用したり、崩したりすることを考えないと。表彰式でも『次は一番高い所に上りたい』と思っていました」。23歳で迎えるロンドン五輪。金メダルしか考えない中村が、日本のエースになる。