<大相撲名古屋場所>◇4日目◇13日◇愛知県体育館

 大関魁皇(38=友綱)が、千代の富士に並ぶ通算最多1045勝を達成した。初日からの3連敗で休場の危機に直面していたが、西前頭2枚目の豊ノ島(28)を突き落としで下した。若貴、曙と同じ88年春の入門から24年目。コツコツと白星を積み重ね、既に最多の幕内在位、幕内勝利、幕内出場などに加え、大記録を打ち立てた。今日5日目の旭天鵬戦で、新記録に挑む。

 必死にもがき、魁皇は勝った。豊ノ島を突き落とすと、土俵上でよろめいた。腰の神経痛で、下半身に力が入りにくい。3番前の相撲が取り直しとなり「まわしを締めている時間が長いと、それだけ足がしびれてくるんで、土俵に上がった時は、ダメかと思った」。ギリギリの状況で、1045勝にたどり着いた。

 支度部屋に戻る前、九重親方(元横綱千代の富士)と握手。記録には、ひたすら謙遜した。

 魁皇

 ここまでの内容は大関としては駄目。騒がれるのが、恥ずかしいぐらい。九重親方のように、余力があってやめた人と違って、必死こいてやっと勝てた一番。本当に比べるのも違うし(記録に)いっていいのかと、申し訳なく思っています。自分の場合、いつも何やっても簡単にはいかない。自分らしいといえば自分らしい。

 序ノ口の場所も、新十両も新入幕も負け越した。大関は8度目の挑戦で上がった。綱とりは失敗。3連敗の末の難産は、土俵人生を象徴していた。

 「相撲は大嫌いだった」という中学3年の時、周囲の大人に外堀を固められて入門。知っている力士は千代の富士だけだった。そんな有名人に、23年以上かけて肩を並べた。負け数は、千代の富士より258も多い。同期の貴乃花が引退してから8年半がたった。おおらかなペースで、大記録にたどり着いた。

 5回を重ねた最後の優勝からも、7年たつ。都内の自宅に5枚並べた優勝額のレプリカを見て、ふと思う。「だんだん体がしぼんでる。最後の時より、体も尻も小さくなった。昔は気持ちが切れても、体で何とかなったけど、今は気持ちが切れたら終わりだな。ギリギリでやっている」。

 腰から足にかけ、神経痛に襲われる。今も、布団と一緒にホットマットを敷く。酷暑の名古屋で、異常なまでのケア。なぜ、気持ちが切れないのか。場所前、こうつぶやいた。「理由は1つじゃない。いろんな人と話したり、いろんな人と会ったりしながら、もう1つやってみようと思うことがある」。

 4月下旬、友綱部屋は岩手・大槌町、宮城・多賀城市などを慰問した。魁皇らを乗せ、東京からマイクロバスを運転した東京後援会の田実(たじつ)会長は言う。「出発前は『会長、オレはもうダメかもしれません』なんて言ってたけど、被災地で声援を受けたら変わった。そんなこと、一切言わなくなった」。

 期待される幸せが、魁皇にはある。父誠二さんは昨年末、直腸がんの手術を受け、約40日間入院した。「今は、ヒロが現役で相撲を取りよるから、オレも気を張り詰めている」。老人保健施設で働く66歳の母栄子さんは「ヒロが続けている間は、私も仕事を頑張れるだけ頑張りたい」と刺激にする。この日は、会場の片隅で、快挙を見届けた。

 戦後、大相撲の土俵に立った力士は、約9000人。その頂点に立ち、今日5日目から未知の領域に足を踏み入れる。「気持ちは、変わんないよ」。浮かれもせず、燃え尽きもしない。【佐々木一郎】

 ◆魁皇博之(かいおう・ひろゆき)本名・古賀博之。1972年(昭47)7月24日、福岡県生まれ。通算1045勝695敗158休。三賞は殊勲賞10回、敢闘賞5回。得意は左四つ、寄り。99年6月、元プロレスラーの西脇充子さんと結婚。185センチ、164キロ。A型。