大関魁皇(38=友綱)が20日、日本相撲協会に引退届を提出し、臨時理事会で年寄「浅香山」の襲名が承認された。この日、名古屋市内のホテルで会見し、笑顔で第2の人生をスタート。右上手が必殺の型だった魁皇と同じように、型のある、強く、格好いい3拍子そろった力士の育成を目標に掲げた。

 -ライバルは

 魁皇

 武双山は年も近いし、ライバルと言われ、自分たちも負けたくないと思っていた。最近では千代大海。同じようにケガで苦しんで、お互い、引き際どうしようかという話もした。

 -一番の思い出は

 友綱親方

 (00年初場所で)三役の時、武双山に千秋楽で負けた。それが一番、本人にかけた言葉の中で、きつい言葉だった。それが一番の思い出。「何年プロで相撲やってんだ。昨日、今日まで学生だったやつにぶざまに負けて」というようなことを言った。

 -武双山戦でどう変わった

 魁皇

 あの一番が悔しくて、次の場所までずっと頭から離れなかった。(次の春場所後から)親方にお願いして「もう1度体を作りたいから、時間を下さい」と言った。それで体をケアするようになり、次の場所で結果(初優勝)が出た。それからは人付き合いが減って、自分は相撲を取ることが仕事だと思った。あの相撲があったことで、自分は変わった。

 -誇りの記録は

 魁皇

 幕内在位(通算107場所)には、少しこだわりがあった。九州場所で(高見山の97場所を)超えた時、100場所くらいは行きたいなと思いました。