東京・墨田区の旧三保ケ関部屋に引っ越した田子ノ浦部屋の大関稀勢の里(27)らが27日、来年初場所(1月12日初日、両国国技館)に向け、初稽古を行った。千葉・松戸市の旧鳴戸部屋から前夜に移ったばかりだが、横綱北の湖らを輩出した歴史ある土俵でこれまで通り、午前11時ごろまでみっちり稽古をこなした。綱とりに挑む稀勢の里にとって、初めての都内での生活。周囲に相撲部屋も多く、ほかの部屋の力士と稽古しやすい環境を歓迎した。

 汗がとめどなく流れた。それは気持ちのいい汗だった。稽古場にある大鏡で、何度も体を眺めた。土俵に沿って弧を描くようなすり足を、幾度となく繰り返した。部屋の柱に寄りかかれば、肩や背中のストレッチ。ぶつかり稽古でつけた背中の砂もそのままに、テッポウ柱をたたいた。引っ越し後、初の稽古。その新しい稽古場のすべてを、稀勢の里は味わおうとした。

 「いい稽古場ですね。全部そろっているし、申し分ないです。歴史の重みを感じますしね。土俵の感じもいい」。横綱北の湖、大関増位山、北天佑らの血と汗を吸い込んだ土俵。名力士を輩出した稽古場の雰囲気を、肌で感じ取っていた。

 前日、引っ越し作業が終わったのは午後8時半。そこから、稽古場に置いた荷物を2階へ移した。弁当をみんなでつつきながら、終わったのは夜中。稀勢の里はそのまま、高安や田子ノ浦親方とともに若い衆の大部屋で寝た。そんな状況でも一夜明けたこの日、高安と計26番をこなした。稽古終了は午前10時56分。再開初日から、旧鳴戸部屋時代と同じように過ごした。「いつもと同じ。変わらないよ」と意に介さなかった。

 自身2度目の綱とりを前に、環境が突然変わった不安が取りざたされる。だが、楽しみも多い。新しい部屋は両国国技館のほど近く。相撲部屋は多く、出稽古の行き来もしやすくなった。「いろんな意味でいい環境だと思います」。稽古が終わると親方や力士、行司、呼び出し、床山全員で写真を撮った。新しい1歩。その記念すべき日をみんなで、笑顔で写真に収めた。

 初めて暮らす都内で、夕方からは日本プロスポーツ大賞の表彰式に出席した。楽天田中将大投手と対面し、同じ188センチの体に「大きかったね」と感想を漏らした後、タクシーに乗り込んだ。「夜はこれからですからね」。冗談を言いながら、近くなった部屋へと戻っていった。【今村健人】

 ◆旧三保ケ関部屋

 江戸時代から大正まで続いた「大坂相撲」時代が起源。第8代三保ケ関(十両滝ノ海)の急死によって1度、力士らは出羽海部屋へ移った。だが、第8代の直弟子である先代三保ケ関親方(元大関増位山)の父の大関増位山が第9代三保ケ関を襲名して50年に再興した。親子2代大関のほか、横綱北の湖や大関北天佑らを輩出。11日に引退した元大関把瑠都も平幕時代の06年7月まで在籍した。先代親方は九州場所で定年を迎え、部屋は消滅した。