力士暴行死事件で実刑判決を受けた、元小結双津竜で前時津風親方の山本順一氏が死去していた。時津風部屋関係者が12日に明らかにした。64歳だった。02年に部屋を継承し、07年に起きた事件によって日本相撲協会を解雇され、11年には懲役5年の実刑が確定した。その後に肺がんとなり、都内の病院で死去した。葬儀は家族のみで行う予定。

 角界を揺るがす事件を起こした山本氏が、都内の病院でひっそりと亡くなった。時津風部屋付きの武隈親方(元前頭蔵玉錦)はこの日、秋田市での夏巡業の先発を務めていた。「夜中に亡くなったと午前中に聞いた」と話した。

 山本氏は11年に三重・津市の三重刑務所に収容された。現役のころからショートホープが大好きな愛煙家。武隈親方によると刑務所内で体調が悪くなり、肺がんと診断されて三重の病院に入ったという。

 その後に都内の病院へ移り、武隈親方は先月見舞いに行った。「すこぶる元気だった」と言い、食堂でかき氷を食べたという。師匠として指導した弟子のことを気にかけて「豊ノ島は太りすぎじゃないか」と話していた。

 現役時は巨体を生かした寄りを得意とした。引退後は部屋付き親方となったが、02年8月に部屋を継承。その5年後の07年名古屋場所前に事件は起きた。その年の春場所入門した時太山こと斉藤俊さんが死亡。死因は山本氏らによる集団暴行で、協会から当時2人目、師匠としては初めての解雇処分となった。

 体罰が問題視され、事件後は稽古場にあった竹刀がなくなった。最近はぶつかり稽古の少なさが指摘される。稽古の厳しさが薄れるきっかけにもなった。

 お盆休みで都内の部屋は静まり返っていた。跡を継いだ時津風親方(元前頭時津海)は「ご冥福をお祈りします。それ以上は差し控えさせてください」と話すにとどまった。

 ◆山本順一(やまもと・じゅんいち)1950年(昭25)2月28日、北海道室蘭市生まれ。中学生だった63年秋に初土俵。69年九州新十両、72年春新入幕、79年名古屋で新小結に昇進し、82年九州で現役を引退。幕内在位29場所。現役時185センチ、172キロ、得意は右四つ、寄り。年寄錦島となり、02年に定年を迎えた時津風親方(元大関豊山)の指名で部屋を継いだ。

 ◆事件メモ

 07年6月26日に序ノ口だった斉藤俊さん(当時17)が稽古中に死亡した。両親が外傷などから不審に思い、地元新潟で解剖を実施して暴行が発覚。山本氏は稽古の厳しさなどがきっかけで部屋を脱走した斉藤さんに憤慨して同25日にビール瓶で殴り、力士にも暴行を指示。26日も30分のぶつかり稽古に金属バットで殴打など集団暴行。愛知県警は08年2月に山本氏らを逮捕し、3力士は執行猶予付き有罪確定で相撲協会を解雇された。山本氏は09年に1審懲役6年、10年に2審懲役5年、11年8月に最高裁が上告を棄却し、実刑判決が確定した。