「開幕2018 群像」と題し、プロ野球遊軍記者が3月30日をルポする。ハレの日として迎える選手もいれば、雌伏の時をかみしめ、捲土(けんど)重来を期す選手もいる。普通なようで、でもやっぱり特別な1日を時系列で追う。

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 東京ドームの記者席は三塁ベンチの上方にある。上原浩治のコラムを書き終えた午後4時前、ビジター用の黒いユニホームをまとった阪神のアップが始まった。

 吹き上がる野太い声から気合が伝わってきた。2日前、大阪。1月に死去した星野仙一氏のお別れの会があった。弔辞を読んだ金本監督が泣いた。あれで気持ちが入らない野球人はいない。阪神は今年、間違いなくいい試合をする。

 しばらく見て、ドームを離れようと決めた。楽天の開幕戦を見る。水道橋駅から総武線に乗り、幕張本郷で満員のバスに。ZOZOマリンへ向かった。

 楽天の打撃練習は終盤を迎えていた。ベンチを抜け、三塁側カメラマン席の前に歩いた。高さ50センチほどのラバーに腰掛け、練習を眺めた。

 そこは星野監督の定位置だった。この球場はダッグアウトが深く、ベンチに座ると練習が見づらい。一方でファウルゾーンが広く、カメラマン席からの見晴らしはすこぶる良く、海からの風も心地よく抜けた。いつもノックバットのグリップにアゴを乗せ、じいっと選手を見ていた。

 2011年の7月29日。「おい」と呼ばれて振り向くと、ノックバットに預けていた大きな右手で招かれた。隣に座ると「伊良部はな」とつぶやいた。

 朝に突然の訃報(ふほう)を聞いていた。首つり自殺だった。

 「ちょうど1年前の今ごろ、深夜に電話が鳴った。伊良部だった。あまりに遅い時間でな。『どないしたんや!』って怒ったのよ。でも声は震えていた。泣いていたんだ。『どうしても野球を諦めきれない。野球を続けたい』と頼み込んできた。『テストを受けさせてほしい』とも言っていた。『ファームの指導者をやりたい』ともな。30分くらいかな。話を聞いて終わった。翌朝起きたら、もう2回、着信履歴が入っていた」

 阪神監督時代、先発の軸に据えて重用した。「攻める姿勢が好きだった。性格の面でいろいろ言われたけど、オレの前では野球が大好きな青年だったよ。でもさ」と続けた。

 「ピッチャーはな、オレもそうだったが、虚勢を張るものなんだ。本当は繊細で弱い。豪快なイメージは、みんなが作ってしまったのではないか」

 そのまま黙りこくって、ため息をついて、ノックバットにアゴを埋めて固まって、練習時間が終わった。

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 誰でもいいから、悲しい気持ちを聞いて欲しかったんだと思う。ぼんやり思い出していると楽天の練習が終わった。

 バックヤードに入ると、三木谷浩史会長兼オーナーとすれ違った。勝負の1年に向かう厳しい顔をしていた。彼もまた、19日に東京で行われたお別れの会で弔辞を読み、泣きに泣いていた。「どうも」と差し出してもらった手を握った。星野監督に似た、包み込むような優しい握手だった。

 3月30日に抱いた感情はそれぞれでも、その強さに優劣はない。ぶつかり合いが晩秋まで続く。(敬称略、おわり)【宮下敬至】

 

 ◆宮下敬至(みやした・たかし)99年入社。04年の秋から野球部。担当歴は横浜(現DeNA)-巨人-楽天-巨人。16年から遊軍。

試合前、整列する楽天ナイン(撮影・横山健太)
試合前、整列する楽天ナイン(撮影・横山健太)