多くのプロ野球選手名鑑では、出身高校名の横に○で囲われた「甲」の字が付いている。その選手が高校時代、甲子園大会に出場したかどうかを示すものだ。先日、紙面で甲子園に出られなかった選手を取材する企画があった。球団によってはいわゆる野球エリートが多く、「○甲マーク」が付いていない選手はそう多くない。

 ロッテはどうだろう。日本の高校を卒業した62人のうち、「○甲」が付いている選手は25人。半数以上の37選手が、球児の聖地にたどり着けないまま18歳の夏を終えている。

 主戦どころで言えば、投手なら先発陣を引っ張る石川歩(30)、守護神の内竜也(33)、中継ぎの要になっている松永昂大(30)益田直也(28)両投手も甲子園に出ていない。野手は中軸の井上晴哉内野手(29)と角中勝也外野手(31)、昨季まで4年連続主将を務めた鈴木大地内野手(28)、今季全試合出場中のルーキー藤岡裕大内野手(24)らも未踏だ。

 井上に話を聞いた。「敗れていった高校生に伝えたいことがあったら教えてほしい」と趣旨を説明すると、「すごくいい企画じゃないですか」と共感してくれた。07年、広島・崇徳高では4番(当時は右翼手)の注目打者だった。2年夏に決勝まで進み、3年春の県大会で夏のシード権を獲得。ところが3年の夏、初戦(2回戦)で1回戦を突破してきた瀬戸内に1-6であっさり敗れた。

 「誰もそこで負けるなんて思ってなかったです。ショックすぎて。もう野球をやりたくないと思いました。やめ時なのかなと。それくらい落ち込みました。荒れはしませんでしたけど、監督に『まあ落ち着け』ってなだめられて。プロに行きたい夢があったから、大学、社会人で続けられた。へこんでも、できることを考えて前を向いた方がいい。あそこで辞めてたら、自動車整備士になってんじゃないですかね(笑い)」。

 狙える位置にいようがいまいが、多くの球児にとって甲子園に行けないことは、最初の挫折なのかもしれない。ちなみに井上が敗れた広島大会を制した広陵は、現広島野村、巨人小林のバッテリーを擁して甲子園決勝まで進むも、決勝で佐賀北に逆転満塁本塁打を打たれている。全国大会に進んだ野村にとってもまた、甲子園は大きな挫折になった。

 高校時代から活躍した選手のほうが、知名度も人気も高いことが多いのは紛れもない事実だ。だが、そこで一花咲かせられなくとも、大学、社会人と紆余(うよ)曲折をへて入団してきた味のある選手がロッテには多い。甲子園に「出た」より「出ない」に注目してみて、そんなことを思った。【ロッテ担当 鎌田良美】