第100回の記念大会となった夏の甲子園は、大阪桐蔭が史上初となる2度目の春夏連覇を果たし、幕を閉じた。

大阪桐蔭は春夏合わせて8度の全国制覇。日本ハム中田をはじめ、西武浅村や、阪神藤浪など多くのプロ野球選手を輩出してきた強豪校。そんなエリート集団を破って甲子園出場を果たし、プロの世界へ飛び込んだ選手が今、必死に汗を流している。

その選手の名は、日本ハム姫野優也。3年前の15年夏。大阪偕星学園の1番中堅手兼投手として、3年生最後の夏に甲子園の土を踏み、2回戦まで進出した。大阪府大会では、前年夏の甲子園で全国制覇を果たし、連覇を狙った大阪桐蔭を準々決勝で下している。「力の差はないと思っていた。負ける気がしなかった」と当時を振り返る。

姫野は中学卒業後、奈良の強豪・天理高へ進学したが、野球部の雰囲気になじめず、高校1年夏に退学。しばらくアルバイト生活をして過ごしたが、同年秋に大阪偕星学園に編入学した。高野連の規定により、公式戦に1年間出場出来なかった。ブランクがありながらも、高校通算26本塁打のパンチ力に加え、走攻守3拍子そろった選手として、15年秋のドラフト会議で、日本ハムから8位指名を受けた。

プロ入り3年目も佳境を迎えたが、いまだ1軍出場はなし。それでも1年目から元々の右打ちに加え、身体能力を生かそうと左打ちにも挑戦し、日々努力を続けている。「まだまだです。両打ちで打てるようにならないと、1軍はすごい人ばかり」。今季はイースタン・リーグで75試合に出場し、打率は2割1厘、3本塁打(29日現在)。その潜在能力を十分に発揮出来ずにいるが、2軍本拠地の千葉・鎌ケ谷では、周りの誰よりも居残り練習を行うなど、必死な努力を重ねている。「両親に1軍で活躍しているところを見せたい」。目指すは1軍の舞台。21歳の若き戦士は、今後飛躍の可能性を秘めている。【日本ハム担当 山崎純一】