400勝投手の金田正一氏が亡くなった。たぶん、今後も破られない不滅の記録だろう。前人未到の記録を達成したサウスポーは豪快な人物だった。94年12月。名球会の行事があったハワイで初めて会った。ダイエー監督就任が決まっていた王さんに同行しての取材だった。

「カネさんと一緒に食事に行こう」。王さんから誘われ、ホノルルの焼き肉店で食事した。宿泊していたホテルに金田さん所有のリンカーンで金田&王さん2人で迎えに来てくれた。プレートナンバーは金田さんの現役時代の背番号だった「34」だった。ハワイのトロピカルな雰囲気には似合わず? カーステレオの音楽は北島三郎だった。ハンドルを握る金田さんと助手席に座る王さんを後部座席から眺め、この人たちは「球界最多の868本の本塁打王と前人未到の400勝投手なんだ」と想像すると、身震いした。2階にあった焼き肉店に金田さんは階段を3段飛ばしの大股で上がって行った。「こういうところでもトレーニングできるんじゃ」。店ではテーブルに乗り切れないくらい料理を注文。「野球選手は食って、練習して、クソして、寝る! これが一番。ガハハ」と笑い飛ばし、王さんもうなずきながら、箸を伸ばしていた。

そんな出会いもあって、その後は球場やイベント会場でお会いすると「おう、元気にしとるか」と気さくに声をかけてくれた。金田さんに苦手な打者を尋ねると「チビ」と即座に答え「ストライクが取りにくい」と笑った顔が忘れられない。神様、仏様…と言われた元西鉄のエース稲尾さんはシーズン42勝を挙げたオフの契約更改で「ようやくカネさんに(年俸が)並んだんだ」とうれしそうに述懐していたのを思い出す。

豪快な野球人がまた1人、天国へ旅立った。【佐竹英治】

金田正一さん
金田正一さん