19年4月、DeNA-広島戦で始球式を行う稲川誠さん
19年4月、DeNA-広島戦で始球式を行う稲川誠さん

電話の声が元気そうで安心した。「大変な世の中だね。予定していた野球教室も全て中止だよ。この前、雑誌の取材に『今の平和な時代に野球ができて幸せに思わないといけない』て答えたけど、すぐ後に、こうなっちゃって。戦時中と一緒だなあ」。元DeNA寮長の稲川誠さん(83)は変わらぬ穏やかさだった。

コロナ禍に苦しむ今の日本をどう見てますか。

「一番感じているのは“平和ボケ”というか。戦後、日本人はみんな苦しい思いをして、そこから起き上がった。今の子も、親も、そういう経験がないでしょう。政府の人たちも戦争の悲惨さを知らない。もっと我慢できていい。今はぜいたく過ぎるよ」

満州で生まれ、北京で育った。裕福な少年時代は、9歳で終戦を迎え一変する。中国軍に追い立てられ、天津の収容所で病に侵され生死をさまよった。父の背中から見た無数に横たわる病人の光景が強烈な記憶として残っている。引き揚げ船でやっと佐世保にたどり着き、祖国の土を踏んだ。食うや食わずの生活を経て、最後は通算83勝のプロ野球選手になった。

「我慢」と同時に「何とかなる」と思うことも大事だという。「悲観的ばかりになってもね。大丈夫。何とかなるから」。達観は母の言葉のせいかもしれない。引き揚げ後「あなたを(中国に)置いていこうと思った」と告白された。「ショックでねえ。でも、全てを乗り越えて強くなった。人には頼れない。生きていくのは自分なんだ」。

国に頼るな、という話ではない。誰もが初体験の状況で、不安は当然。ただ、1人1人に責任ある行動が求められる。心のバランスも保ちたい。「我慢」を心がけ、「何とかなる」と余裕を忘れず、「生きていくのは自分」と主体性を持つこと。稲川さんの教えだ。

昨年12月。DeNAのOB会でこうあいさつした。「これから何かをやろうという時間はありません。毎日あるがままを生きています」。今は外出を控え、庭の手入れとチョウの標本整理に精を出し、ダンベルでトレーニングし、ギターを弾く。「もうすぐ84歳。でも、趣味に定年はないからね」と毎日を生きている。【古川真弥】