12回1死一、三塁、阪神新庄剛志は巨人槙原寛己の敬遠球をレフト前に運ぶサヨナラ打を放つ(1999年6月12日撮影)
12回1死一、三塁、阪神新庄剛志は巨人槙原寛己の敬遠球をレフト前に運ぶサヨナラ打を放つ(1999年6月12日撮影)

新庄剛志氏の日本プロ野球復帰プランが持ち上がり、その動向が一気に注目される事態となった。北海道の独立リーグからの誘いを断り、その本気度も伝わる。阪神時代の数ある逸話の中でも筆頭格が、1999年(平11)6月12日巨人戦、延長12回の敬遠球サヨナラ安打だろう。記者はネット裏で、この名場面を生で見るという幸運に恵まれた。そしてこの試合では、意外と知られていないもうひとつの仰天シーンがあった。

4-4の同点で迎えた11回1死満塁、阪神は二塁に入っていた平尾博司(後に博嗣)に代え、大豊泰昭を代打に送ったが凡退。後続も倒れ、絶好のサヨナラ機を逃した。

12回表。さて、二塁には誰が-。球場がざわめいた次の瞬間、場内アナウンスにファンは騒然となった。

「セカンド、新庄」

どよめきが収まらない中、平尾に借りたグラブで、新庄は守備位置についた。巨人の攻撃前、内野のボール回しがなんとも楽しげだ。そして、代わったところにボールは飛ぶ。2死後に清原和博の強いゴロが、二塁ベース寄りに転がった。やや腰高ながらも3バウンドでつかんだ新庄二塁手は、一塁のジョンソンに山なりの送球でチェンジとなった。こうして、その裏の自身の名シーンをお膳立てしたのだった。

「緊張なんてなかった。楽しかったよ。内野は前にもやってるし」

1軍デビューした91年からの2シーズンで、三塁26試合、遊撃17試合を守ってはいた。それでもプロ初の二塁というポジションは、自由奔放な彼にとっても新鮮な経験だったに違いない。

記者席でこの場面に遭遇した私は「勝っても負けても、明日の1面は『新庄二塁』で決まりだな」と思ったことを覚えている。そんな一大イベントを、一瞬にして自ら上書きしてしまう離れ業がなんとも彼らしい。今季もしプレーしてくれるのであれば、あの楽しげな二塁守備も見させてほしいとひそかに期待している。【記録室 高野勲】