ロッテ和田康士朗外野手(22)が甲子園で躍動した。エキシビションマッチの阪神戦。「人工芝のほうが走りやすいですね」と笑いながらも、聖地と呼ばれる空間を満喫した。

「僕からしたら無縁の場所だったので、そんなところでプレーできてうれしいです。友達とかも、誰も甲子園に行けてないので」

チーム戦力の問題でなく、本当に無縁だった。高校で硬式野球部に入っていなかったから。中学で一度距離を置き、埼玉・小川高では陸上部へ。その後、野球を再開した先はクラブチームだった。国内独立リーグ・BCリーグでのプレーも経験している。

「あの時に(高校の)野球部を選ばずに、クラブチームを選んだことで、今ここに来てプレーできていると思うので」

高校で甲子園を目指し、プロに評価されてプロになる。または大学や社会人野球を経てのプロ入り。これまで一般的に「王道」とされた道ではない選手と、なぜか最近、取材のご縁が続いている。

ロッテでは河村説人投手(24)もそうだ。自主練習を多くできる環境の方が自分の成長には合っていると判断し、都内の大学を中退。星槎道都大に再入学し夢をかなえた。前半戦の終盤には、プロ1年目でのうれしい初勝利を挙げた。

アマチュア野球担当時代には、現BCリーグ神奈川・杉浦健二郎投手(23)の“伝説”を目撃した。高校ではバドミントン部、大学では自分で立ち上げた草野球チームでプレー。そんな若者が、トライアウトでいきなり150キロ。スマートフォンで有名選手の動画を見ながら、独学でフォームを作り上げていた。

草野球時代に杉浦の快速球を捕っていた水島敦也さんも、高校はテニス部。それが草野球にはまり、チーム個人のセイバーメトリクスまで日々算出するほど、野球に染まった。

彼らに共通していると感じたのは、マイウェーを歩んできたことにしっかり胸を張っていることだ。高校野球をやってないからダメなんじゃないか。一度野球部辞めたらもうダメなんじゃないか。そういう後ろ向きな様子がまるでない。

15年以上前、高校野球で強豪私立から転校した球児の記事を書いた。取材の過程で「どうせ根性なしなんでしょう」という第三者の一刀両断をたくさん聞いた。そういう時代もあった。今は違う。今年の日刊スポーツ高校野球面だけでも、高校生を取り巻く価値観の多様性を感じた。

この春には、佐々木朗希投手(19)と大船渡時代にバッテリーを組んだ及川恵介さん(20)が、通っている東北学院大で硬式野球を再開した。一般学生だった昨年はコロナ禍でオンライン授業が多く、新しい友人を作ることも難しかったという。野球部での生活が始まり「目標もできて、いい生活が送れています」と充実を喜んでいた。

いろいろあって、いい。5年後にこの記事を読み直した時に「何が珍しいの?」と思えるくらい、選択肢が広がっていってほしい。【ロッテ担当=金子真仁】