残してきた足跡に対するリスペクトだろう。阪神中田賢一投手(39)が今季限りでの現役引退を決意した。中日、ソフトバンクで通算100勝を挙げ、計6度のリーグ優勝、6度の日本一に貢献。2年間在籍した阪神では未勝利に終わったが、球団は引退会見の場にホテルの会場を用意した。大学を卒業してから17年間。誰が見ても立派なプロ野球人生だった。

一般企業に就職しようと北九州市大に進学した中田をプロの世界に導いたのは、あるスカウトマンの情熱だった。渡辺麿史(たかふみ)さんは中日の九州地区を担当するスカウトだった。日田林工高から日鉱佐賀関を経て、78年から5年間、近鉄で投手としてプレー。90年から中日のスカウトを務めていた。

全国的に無名だった中田にほれ込み、日課のようにグラウンドに足を運んだ。3年生だった03年秋から冬にかけ、右内転筋を痛めていた時も変わらなかった。福岡・久留米市の自宅に帰ってからも中田の投球映像をすり切れるほど見ていたという。家族は「賢一が…」と中田のことを息子のように話す姿を今でもはっきりと覚えている。

渡辺さんが亡くなったのは2014年2月1日だった。死因は急性白血病。1年間の入院生活を経て57歳という若さで天国に旅立った。ソフトバンクに移籍した最初の春季キャンプ初日。新天地での活躍を約束していたという中田は「渡辺さんがいなかったら今の自分はない」と声を詰まらせた。

先日、渡辺さんの遺品を整理していた家族が、古いスクラップブックを見つけた。そこには中田の記事が丁寧に貼り付けられていた。大学時代の小さな記事から、プロ入り後の活躍を報じる記事もあった。息子の活躍を喜ぶ父親のように、渡辺さんの愛情が詰まっていた。

今年もまたドラフトの季節がやってきた。現行のドラフト制度では、必ずしもその思いが成就するとは限らない。ただ、スカウトたちはその思いが通じると信じて情熱と愛情を注ぐ。これほどスカウト冥利(みょうり)に尽きる選手はいないのではないか。天国の渡辺さんもユニホームを脱いだ中田にねぎらいの言葉を掛けてくれるはずだ。【桝井聡】