その瞬間、阪神西純矢投手(20)は、“子どもの顔”に戻っていたように見えた。7日のウエスタン・リーグ、ソフトバンク戦(鳴尾浜)の試合前。登板日ではない右腕が、取材エリアで立ち止まってくれた。

その数十分前、母校の岡山・創志学園が全国高校野球選手権の初戦で敗退。それは、今夏限りで退任する恩師・長沢宏行監督(69)の「ラストゲーム」を意味していた。報道陣が質問を投げかけると、言葉は尽きなかった。

「最後、甲子園で終われたっていうのがよかったと、そう思います。いろいろ大変だったと思うので、しっかり休んでもらいたいな」

高校1年だった17年秋。父雅和さんが45歳の若さでこの世を去った。生前、お見舞いに向かった長沢監督は、雅和さんの手を握り「必ずプロで活躍させます」と男の約束を交わしていたという。

「自分のお父さんが亡くなった時にも、父親代わりとして接してもらって、ほんとに感謝しかないです」

その才能を、誰よりも信じてくれた。入学前の時点ですでに「君はプロに行けるから」と確信の言葉をもらっていた。2年夏に甲子園に出場。ド派手なガッツポーズがトレードマークとなり、話題に。審判から注意も受けた。周囲の雑音が聞こえてくる。そんな中、自分らしくプレーすることを貫くことができた。

「監督には別に何も言われなかったんです。ただ、頑張れ、と。ほんとに何も言われなかった。逆に、2年生の時、チーム全体で『西を1人にするな』という感じで、みんなで助けてくれて」

ある時、手紙を見せられた。ガッツポーズに対し、批判の内容もあった。応援や激励のメッセージもあった。その全てを、包み隠さず見せてくれた。

「こういう意見もあるけど、応援してくれる人もいるから、と言われたのを覚えています」

応援を力に変える-。アスリートにとって、大切なことを教わった。

縛りはなかった。自由に野球をさせてくれた。西純が、マウンドでハツラツと投げ込むことができる理由の1つだ。

「3年間自由に、のびのびやらせてもらえたので、すごくありがたかった。(監督は)だいぶ珍しい(タイプ)と思いますよ。練習試合の時、バスに乗らずに監督の車で一緒に行って、ご飯を食べに行ったりとか。ピッチャーだけ練習の途中で切り上げて、ピッチャー陣だけご飯に連れていってくれたりとか」

忘れられない青春の1ページ。それはいつでも力を貸してくれる。

「プレーでしか恩返しはできないと思うので、少しでも長くプロ野球で長くやっていけるように、活躍している姿を見せられるように。監督だけじゃなく、自分にかかわってくれている人みんなにそういう感じだと思うので、頑張りたいなと思います」

少しおとなびた顔で、そう言った。【阪神担当 中野椋】

試合後、応援席に一礼する創志学園・長沢監督(中央)(撮影・江口和貴)
試合後、応援席に一礼する創志学園・長沢監督(中央)(撮影・江口和貴)
創志学園対八戸学院光星 八戸学院光星に敗れ、選手たちと引き揚げる創志学園・長沢監督(中央)(撮影・江口和貴)
創志学園対八戸学院光星 八戸学院光星に敗れ、選手たちと引き揚げる創志学園・長沢監督(中央)(撮影・江口和貴)