夏の甲子園が盛り上がりを見せている。灼熱(しゃくねつ)の中、汗だくになりながら全力プレーで青春の全てをかける。毎年この季節になると、やっぱり高校野球はいいな、と思う。

今年はより一層、そう思わされた。母校の富士森が創部初となる西東京大会4強進出を果たした。都立校としては9年ぶりの快挙だった。私が野球部を引退してから7年。当時は想像もできなかった結果を収めた後輩たちには、感謝と尊敬しかない。

細かい野球で着実に勝利をつかんだ。3年生は13人と部員数も多くない。広瀬勇司監督は「ベスト16が目標でした。甲子園なんて口に出したこともないです」。塁に出たら、確実に1球で犠打を決めて送る。1点ずつ積み重ねて、正統派右腕2投手でロースコアゲームを逃げ切る。正遊撃手に4番、5番が新型コロナの影響で、大会中に離脱を余儀なくされたが、中大杉並、石神井、聖パウロ学園、駒大高を撃破して40年ぶりに神宮へ進んだ。さらに日大鶴ケ丘に延長戦の末、勝利。想定しておらず、校歌のCDの用意もなかったため、急きょ吹奏楽部の生演奏で、校歌を響かせた。

歴史的勝利を収めた7月27日、私はオールスターゲームの取材で愛媛・松山にいた。ロッテ佐々木朗、オリックス山本ら日本球界を代表するスター選手が投げている真っ最中、神宮でも熱戦が繰り広げられていた。勝利を見届けた私の同級生や先輩、後輩たちがSNSで大盛り上がり。球宴後にそれを見ながら喜びに浸った。

2日後の日大三との準決勝。休みだった私は、神宮に応援に行くことにした。巨人担当記者として、いつもプロ野球を見ている神宮で、後輩たちがプレーする。ユニホームもバッグも監督、コーチも変わったが、メインビジョンの「富士森」の文字は感慨深かった。試合は1回の10失点が響いて5回コールド負けを喫したが、その後甲子園を決めた強豪と準決勝で戦えた。それだけでも先輩として誇らしいし、後輩たちの未来への財産になったと思う。

私が在籍した7年前は、「八王子から神宮へ、神宮から甲子園へ」と背中に書かれたTシャツで日々、練習していた。ただ、3年夏は4回戦敗退。神宮は夢のまた夢だった。グラウンドは当然、サッカー部と折半で使用するため、フリー打撃ができるのは木曜日と朝練だけ。現在の野球部は数年前から週休2日制を導入しているという。短い練習時間をフル活用して歴史をつくった。

現在は巨人担当記者としてプロ野球を間近で見ることが出来る環境に恵まれた。スター選手のホームランや剛速球、ファンの応援を見ていても、高校野球のそれとは全く違う面白さがある。それまでの人生でプロ野球をあまり見てこなかったが、徐々にプロ野球の魅力が分かるようになってきた。だがそれとはまた別で、故郷を思い出し、青春を思い出させてくれる高校野球も、やっぱりいい。【巨人担当=小早川宗一郎】