9月22日、オリックス-ロッテ24回戦(京セラドーム大阪)の記者席に、見慣れない女性がいた。

彼女は日刊スポーツ新聞西日本のルーキー、競馬担当の下村琴葉記者。中学生時代、ロッテ荻野貴司外野手(36)の復帰試合で号泣し“荻野ファンの女の子”としてファンの間で話題の存在になった。クリストフ・ルメール騎手の始球式取材で入社後、初めて訪れたプロ野球の現場。記者として、あこがれの存在をつづった。【ロッテ担当=金子真仁】

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先輩競馬記者の「ルメールの始球式、行ったらええんちゃう?」のひと言から、初の球場取材が実現した。本業を終えた試合前、ネット裏の記者席でソワソワしながら背番号0を探す。ここ2戦は下半身の張りでベンチ待機。この日も守備練習、キャッチボールに姿はなく落胆の感情がのぞいたが、それもつかの間。球場に響く「6番DH、荻野貴司」のアナウンスに思わず頬が緩んだ。

9年前の13年5月8日、腰痛から復帰した荻野選手がスタメンに名を連ねた。QVCマリンフィールド(現ZOZOマリン)のベンチ上の内野席でスタメン発表を見た。うれしい、うれしい。その感情だけで涙があふれる。泣く姿を球場カメラに抜かれたのがきっかけで、なんと私自身がSNSで話題になってしまった。恥ずかしさもあるが、今でも覚えてくださっている方も多くいるのには感謝しかない。

かれこれ十数年、プロ野球にかじりついているが、特に印象深いのは19年のオールスター1戦目。前年は球宴直前に骨折し、出場辞退を余儀なくされていた。それもあってか、スタメン発表で名前が呼ばれると、スタンドからはひときわ大きな歓声。胸が熱くなる。その日はあと少しでホームラン、という特大二塁打にタイムリー。現地で見て「なぜここまではい上がれるのか」という驚きが大きかった。

自分も頑張らないといけない-。活躍を見ると自然とそう思う。部活がしんどかった時、就活がうまくいかなかった時、仕事でつまずいた時…。テレビをつければ、球場に行けば、数々の苦難に屈せず戦い続ける荻野選手がいた。その姿に救われたのは、私だけではないはずだ。

今年は通算250盗塁、1000安打、1000試合出場を達成。次々と登場する記念グッズに財布のヒモが緩みっぱなしだ。年齢を重ねるごとに一段の進境を感じる。優勝というゴールを駆け抜ける日まで、チーム最年長37歳の挑戦はまだまだ続くのだろう。

私は-。ベタですが、これからのG1で1つでも多く的中できるように取材を重ねていきたいです。あと荻野選手を意識しすぎて、競馬の記事内で「駆け抜ける」を多用しないように気をつけます。【中央競馬担当=下村琴葉】

日刊スポーツ新聞西日本のルーキー、競馬担当の下村琴葉記者
日刊スポーツ新聞西日本のルーキー、競馬担当の下村琴葉記者