阪神の新外国人ハビー・ゲラ投手(28)が、チーム最多タイの3セーブと活躍を見せている。阪神でセーブを記録した助っ人投手は17人目。阪神外国人初のセーブは、リチャード・オルセンが83年10月24日ヤクルト戦で記録した。

日本人を含めれば、球団82人目である。米国に続き日本球界でもセーブが導入された、1974年(昭49)。栄えある球団創設初のセーブを挙げたのは、伝説のあの方だった。

江夏豊である。

同年の開幕4試合目。4月10日の広島戦(広島)でのことだ。1回に田淵幸一の適時打で阪神が先制したが、その裏に先発の若生智男が山本浩司(後に浩二)に逆転2ランを浴びた。阪神は5回に、田淵幸一が逆転2ランでお返し。3-2とリードを奪った。

7回表に回ってきた若生の打席で、掛布雅之が代打で出た。このため裏の守りから投手交代。2番手の江夏がマウンドへ向かった。

4月6日には開幕投手を務め、大洋(現DeNA)を相手に1失点完投勝利を挙げていた若き左腕である。4日後に今度はリリーフに立った。8回に四球、9回には失策で走者を許したが、それぞれ併殺でしのいだ。打者9人、無安打、無失点。完璧な投球で若生にシーズン初勝利を贈った。

当時は現在のように投手の分業制は進んでおらず、先発と救援の掛け持ちなど当たり前。江夏はこの年チーム最多の41試合に登板し、うち18試合が救援だった。14勝、8セーブもまた、この年の阪神最多。まさに大車輪の活躍だった。

江夏は2年後の76年に、南海(現ソフトバンク)へと移籍した。野村克也選手兼任監督と出会い、リリーフ専任へと転身したのは有名な話である。

78年には広島へと移り、日本球界に「抑えの切り札」という役割を確立した。79年近鉄との日本シリーズ第7戦で、9回裏無死満塁のピンチをしのぎ、広島に初の日本一をもたらした。

江夏自身にとって初のセーブは、その5年前に刻まれていた。相手が広島だったというのも暗示的だ。日本シリーズ「江夏の21球」で名勝負を演じた伝説の左腕は、開幕投手からの「二刀流」でその第1歩を刻んでいた。【記録室 高野勲】(22年3月のテレビ東京系「なんでもクイズスタジアム プロ野球王決定戦」準優勝)

阪神時代の江夏豊
阪神時代の江夏豊