1980年代の幕開けとともに、原辰徳はプロ野球の世界に飛びこんだ。端正な顔に浮かぶさわやかな笑み、白い歯。「タツノリ」と下の名前で呼べる気安さ。レコードを出したり、ティーン向け雑誌のグラビアを飾ったり。それまでのプロ野球選手が漂わせる男くささとは縁遠い、新しい時代の到来を感じさせた。ルーキー年の81年には22本塁打を放ち、8年ぶりの日本一に貢献、新人王を獲得するなど、実力も証明した。

だが、戦後史に名を刻む長嶋茂雄、王貞治の幻影が、いまだ後楽園に残る時代。世間やマスコミには、アイドル的なたたずまいの若大将が、軽薄短小の80年代を象徴するひ弱で頼りない選手だと映ったのだろう。「巨人史上最低の4番」「お嬢さん野球」と酷評し、「腹立つノリ」と嘲笑を浴びせた。

「原辰徳に憧れて」を上梓した中溝康隆さん
「原辰徳に憧れて」を上梓した中溝康隆さん

そのころ、容赦のないバッシングに心を痛めた少年が、ファンレターを書いた。正確には原の妻にあてて書いた。

「旦那さんに何かあったら言ってください」

ONを知らない80年代の少年たちにとって、タツノリは大好きなジャイアンツの4番打者。俺たちのヒーロー。スーパースター。大人たちのバッシングが、腹立たしくて仕方ない。奥さん、タツノリに何かあったら俺に言ってくれ。すぐに駆けつけるから。

30余年前、タツノリ愛にあふれたファンレターを書いた少年は今、野球ライターとなって「原辰徳に憧れて」(白夜書房)を書き上げた。ブログ「プロ野球死亡遊戯」の野球コラムで人気を集めた中溝康隆さんだ。

著書「原辰徳に憧れて」
著書「原辰徳に憧れて」

「16歳で甲子園に出場し、『長嶋2世』の看板を背負って以来、巨人の4番、監督として40余年、タツノリはとてつもなく重い物を背負ってきました。ホームランを30本打っても、優勝を逃せば『戦犯』とたたかれる。監督としての実績は、3度の日本一、WBCで世界一。でも野村克也や落合博満に比べて軽く見られる。そんなタツノリの真のすごさを伝えるのが、彼をスーパースターと仰いで育った僕ら世代の使命だと思うんです」

著者は79年生まれ、いわゆるロスジェネ世代だ。大卒後、転職を繰り返し、気づけば20代も終わるころ、ふと立ち寄った東京ドーム。ONと比較され、理不尽な批判にさらされても、グラウンドに立ち続け、ホームランをかっ飛ばした若大将は今、名将と呼ばれる実績を積み上げ、球界の真ん中にいた。「俺はこのままでいいのか」という思いとともに、少年時代に置いてきたタツノリへの愛が再燃した。球場に通い詰めてブログに記事を書き、ライターとして認められるようになる。

タツノリへの愛の軌跡をたどりつつ、名将・原辰徳の今を追う本書の末尾に、こんな一文がある。「タツノリは決して勝ち続けてきたヒーローじゃない。負けて、負けて、負けまくって、それでも大逆転の一発で俺らを熱狂させてきた」。

ONが戦後史を彩るスターであり、イチローや松井秀喜が海外に雄飛する新世代の象徴ならば、原辰徳は落日の日本社会を生きるロスジェネ世代が、ままならない人生逆転の夢を重ねるヒーローなのだ。【秋山惣一郎】