<日本ハムVS.西武>◇03年9月28日◇東京ドーム

よだれ鶏を生ビールで流し込んでいる俺に、豆苗の炒め物をつまみながら友人が聞く。「オリックスのセギノール、名前のスペルを書けるか」。応じたのは、隣席にいるグループの客。「ローマ字読みでセグイグノル(SEGUIGNOL)と書くんだ」。別の席から「お~、さすが」と声が上がって、JR水道橋駅近くの大衆的な中華料理店は、一気ににぎやかになった。

居酒屋に焼き鳥、焼き肉。韓国にイタリアン、もちろん中華も。水道橋の夜はにぎやかだ。俺は、東京ドームで日本ハム戦を見た帰り、仲間と野球をさかなによく飲んだ。このあたりの店は客の多くが観戦帰りで「プロ野球ファン」「パ・リーグファン」というだけで、知らぬ同士が意気投合することもままあった。試合を終えた選手がぶらりと入ってきて、即席のサイン会が始まることも珍しくない。ナイター終わりの水道橋駅周辺は、ファンの社交場だった。

日本ハムの東京ドーム最終戦を特集したファンクラブ会報
日本ハムの東京ドーム最終戦を特集したファンクラブ会報

2003年(平15)9月28日、翌シーズンには北海道に本拠を移す日本ハムの東京最終戦(西武戦)。満員となった東京ドームに球団歌「ファイターズ讃歌」が、静かに流れる。球団旗を先頭に場内を1周する選手たちへ、スタンドから惜別の声が送られている。センター後方の大型ビジョンに「ありがとう東京」のメッセージが映る。「さよなら」じゃなくて「ありがとう」か。礼を言うのは俺の方だ。

職場に近くて、思い立ったらいつでも入れて、天気の心配がない。金券ショップを回れば、ネット裏の良席が安く簡単に買える。試合後の飲み会も、存分に楽しめる。俺にとって、いや東京のパのファンにとって、東京ドームの日本ハム戦は、最も身近で都合のいい都市型の娯楽だった。そんな最高の観戦環境を手放すことになったのだ。外野席で泣きながら別れを惜しんでいる熱心なファンとはまた違う寂しさを、俺はかみしめていた。

北海道へ行った日本ハムは、東京で巨人と張り合って泣きを見ていたころがうそのように、地域密着と戦力強化に努めて、本拠移転という大事業を成功させた。だが、千葉や所沢の平日ナイターには、おいそれとは行けない俺は、置いてきぼりにされた気分だった。あれほど夜の水道橋でプロ野球を語り合った仲間たちとも、気軽な観戦が遠のいて次第に疎遠になった。

かつて首都圏や近畿圏の大都市に集中していたプロ野球、特にパ・リーグは地方へと活路を見いだした。素晴らしいことだ。一方で、会社帰りにみんなで野球を見て酒を飲む俺の日常は奪われた。先日、仕事の都合で水道橋へ行った。あの中華料理店のガラス越しに、よだれ鶏を食う俺と豆苗の炒め物をつまむ友人が見えた気がした。(つづく)

【秋山惣一郎】