<ダイエーVS.ロッテ>◇03年8月24日◇福岡ドーム

7回表、ロッテの攻撃が始まろうとしたその時。ボビーコールに乗せて、福岡ドームの左翼席でロッテファンが一斉に日刊スポーツの1面を掲げた。その数、およそ200枚。ファンが持ち込んだという紙面のカラーコピーには「ロッテ監督 バレンタイン氏復帰へ」の大見出しが踊る。2003年(平15)8月24日の出来事だ。

03年8月24日付日刊スポーツ東京最終版1面
03年8月24日付日刊スポーツ東京最終版1面

ロッテが千葉に本拠を移した92年、俺も千葉に赴任した。ロッテはいわば「同期生」で、俺は愛に近い感情を抱いていたのだが、低迷が続く状況を怒ってもいた。そんな95年、元大リーグ監督という威光まばゆいボビー・バレンタインがロッテ監督に就任。首位に12ゲーム差とはいえ、10年ぶりのAクラス、2位に押し上げてくれた。救世主・ボビーの復帰は、俺にとっても待ちに待った知らせだった。

95年シーズンで、俺が強烈に覚えているのが、オリックスが優勝マジックを1とした9月15日からの神戸での3連戦だ。この年、阪神・淡路大震災に襲われた神戸で、快進撃を続けるオリックスは、復興のシンボル的な存在となっていた。本拠で優勝を決めて、立ち上がる市民に勇気を与える。そんな出来すぎた物語をぶち壊したのが、ボビーだった。

伊良部秀輝、小宮山悟、エリック・ヒルマンのエース級3本柱をぶつけて3連勝。神戸での胴上げを阻止した。空気を読まない采配に、俺はしびれた。一方で、震災復興支援のためのチャリティー試合に率先して協力する。洗練された「ノブレス・オブリージュ」なスタイルが、たまらなく格好よかった。

だが、球団幹部との確執みたいな話が流れて、ボビーは1年で日本を去った。チームは、また低迷期に入った。プロ野球記録となった98年の18連敗や02年の開幕11連敗など、負けた時しか話題にならない。千葉同期生への愛も、そろそろ限界だった。福岡ドームで「ボビー復帰」の報に触れたのは、そんな時だった。

03年8月、バレンタイン監督復帰を伝える本紙を掲げるロッテ応援団
03年8月、バレンタイン監督復帰を伝える本紙を掲げるロッテ応援団

6年が過ぎた09年秋、日本を去ることになったボビーにインタビューする機会を得た。試合前、千葉マリンのベンチに座ったボビーは、チームについて、日本球界について、感情を交えず、よどみなく話した。ファンに見せるフレンドリーな笑顔とは違って、決して仕事の一線を越えさせない応答が印象的だった。

それでも俺は、ファンが「ニッカン1面」を掲げて復帰を歓迎した6年前の興奮が忘れられなくて、精いっぱい遠回しに聞いた。「また日本での采配を見られますか」と。「機会があったら、またお会いできるでしょう。その日を楽しみにしています」。俺のウエットな感情を軽くあしらうように、社交辞令で返すボビー。素っ気ない感じが、また最高に決まっていた。(つづく)【秋山惣一郎】