6月末の南北海道大会から始まった夏の高校野球は、智弁和歌山の優勝で幕を閉じた。2年ぶりの「球児たちの夏」には、今年もさまざまなドラマがあった。全国の担当記者たちが振り返る。

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父との約束を最後まで貫いて、高校最後の夏を全力で駆け抜けた。花咲徳栄(埼玉)の背番号17、相原陸外野手(3年)。春季関東大会までは三塁コーチ、夏の県大会では一塁コーチを任された。投手の動きを細かく観察し、投球やけん制の間合いを測る。走塁面だけでなく「打席に立った打者の気持ちを乗せるような声かけを意識している。どう声を出したら、打者を打たせることができるか、考えています」と意識。コーチスボックスの中から、声をからした。

野球の原点は、父の崇さんだ。九州国際大付(福岡)から日体大を経て、社会人プリンスホテルまでプレーした外野手だった。陸は、小1の冬に上尾ボーイズに加入。父の現役時代は知らなかったが、身近にいる存在が、何よりのお手本だった。小さい頃は、一緒によくキャッチボールをした。「すごく、かっこよかったんです」。

崇さんは16年、陸が中1の時に病気で亡くなった。入院から数カ月。別れは突然だったが「亡くなってからも、言われてきたことを思いながらプレーしているんです」と明かす。「気持ちで負けるな」「いつも全力でやれ」。記憶の中の父は、ずっと憧れのままだ。

あえて、厳しい環境を選んだ。県内でも強豪校の花咲徳栄。加須市にある同校には鴻巣市の自宅から通える距離だったが、野球に集中するため寮に入った。全国から有望選手が集まる中で激しいメンバー争いに勝ち、3年の夏に背番号をつかんだ。

父譲りの俊足が武器。50メートル6秒0は、チーム内トップクラスだった。代走という大事な役割も担い「代走で出たら、絶対にホームまで戻る気持ち」と話していた。県大会初戦の2回戦朝霞戦、8回で代走に送られると、すかさず盗塁。生還してコールド勝ちに貢献した。

チームは優勝候補に挙げられながら、5回戦で山村学園に5-6で敗れた。「やれることを、全力でやる。その中で父に恩返しをしたいし、いい報告をしたい」と臨んでいた最後の夏。目標にしていた甲子園には、届かなかった。将来の夢は、アスレチックトレーナー。進学しても、野球は続けていくつもりだ。大きな父の背中を、これからも全力で追い続ける。【保坂恭子】