あなたには今、夢を問われたら何が思い浮かぶだろうか。

巨人の守護神・大勢投手(23)にとって、その1つは「自分のプレーでファンを魅了すること」。入団前から繰り返し言い続けてきた。ドラフト指名された日も、仮契約を結んだときも、何度も口に出してきた。

背景に故郷の存在がある。「僕がプロ野球選手になって、地元の子どもたちに野球の楽しさを教えてあげたい」。入団前に言った言葉だ。神戸市から北西に約60キロ離れた自然豊かな多可町で生まれ、プロ入りまでの22年間、兵庫で過ごしてきた。大好きな野球と故郷への愛は強い。

ワイルドな少年時代だった。氷上ボーイズに所属した八千代中時代は、部活には入れなかったため、平日の放課後は友人と青春の日々を過ごした。「サッカーをしたりとか、夏は川に行ったり。石の下に手を入れて魚をとるとか、いろんな遊びをしてました」。近くに商業施設はおろか、コンビニすらなかった。自然あふれる町だからこそ、伸び伸び育った。

そんな多可町の人口は大勢が生まれた99年から約20%減の2万人に。通っていた八千代北小は廃校となり、八千代中は在籍していた8年前の1学年60人から、40人ほどに減った。野球チームは吸収合併を繰り返し、少子高齢化、野球離れの影響を身近に感じてきた。

記者自身も同じような境遇だった。地元は多摩西部の郊外に位置するバーベキューやキャンプで人気の自然あふれる東京・あきる野市。通っていた小学校は、当時全校児童がわずか30人ほど。同学年は1人しかおらず、授業は違う学年と一緒に受けることも多かった。学校のスポーツチームは男女、学年問わずに集まって、ソフトボールチーム1つがやっと。卒業から3年後、廃校となって隣の小学校に吸収合併された。廃校に伴って、記者も所属したソフトボールチームはもちろん消滅。野球とソフトボールという競技の違いはあれど、野球離れは身近で危機感もあった。

共通点を持つ大勢を、たまたま巨人担当記者として関わることになった。オールスター出場も決まり、せっかくの縁だから、大勢の母校・八千代中に行ってみよう。せっかく行くなら、後輩たちへのメッセージも聞いてみよう。「プロになる前、ケガして落ち込むほどじゃないですけど、そんな時に中学で仲良くしてた友達に声をかけてもらった。友達は大事にした方がいいなと。たまに、中学校に戻りたいなと思うので、もっと楽しんでほしい。本当に楽しかったです!」。

大勢流のアドバイスとともにサイン入り色紙にひと言、メッセージを頼んだ。「頑張れ!」「楽しく!」。思いのこもったプレゼントを手に、7月上旬、関西行きの新幹線に乗り込んだ。【小早川宗一郎】(つづく)

巨人大勢が少年時代、魚をつかまえたり、川遊びをした兵庫・多可町のネイチャーパークかさがた
巨人大勢が少年時代、魚をつかまえたり、川遊びをした兵庫・多可町のネイチャーパークかさがた