ドジャース大谷翔平投手(29)は世界的なスター選手になった。佐々木麟太郎内野手(18)は花巻東を卒業し、夢を抱いて米スタンフォード大に進学した。島国の未来が、大海のかなたに広がっていく。渡った人、渡ってきた人、かつて渡った人。3人に「海を渡ること」を尋ねた。

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根岸涼投手(25)は東京の下町で育った。新小岩駅前の商店街も「たまに来ます」という“庭”だ。その一角で彼は、日本でプロ野球選手になりたい夢を口にして3月、海を渡った。メキシコの「アグアスカリエンテス・レイルロードメン」と契約を結んだ。契約は月単位の更新だ。

「あと1年間、海外で結果を残した方が唯一無二じゃないですけど、価値があるかなと思ったので」

最速152キロとフォークが売りのリリーフタイプの右腕は昨年、BCリーグ茨城で投げた。奪三振能力は高いものの、スカウトが視察する試合で力を出し切れなかった。ドラフト指名もなし。茨城の色川冬馬GM(34)に「参加するか?」と誘われたのは、コロンビアでのウインター・リーグ。迷った。

「南米でサッカーが強くて。それ以外知らない国で、言葉もしゃべれない。でも何かのチャンスやきっかけにはなるのかなと」

挑戦を決め、10月末に30時間かけて到着。「カイマネス・デ・バランキージャ」の一員として2カ月半を過ごした。結果、リーグのMVPを獲得。主に8回を任され、21試合で防御率1・71。未知の環境でトロフィーを勝ち取った。

舗装されていない道路も多い。国内を6時間、バス移動することもある。治安が良い…わけではない。腹も壊した。「日本食食べたいな、お風呂入りたいな」。異国の生活に慣れるまで1カ月はかかった。そんな環境で成功した。

「日本でずっとやってきたものを変えずに。トレーニングや調整方法は自分の中である程度確立できていたので、多少はコンディションが良くない時もあったんですけど、今までやって来たことの積み重ねがあると思ったので、悲観的に負に捉えずにどんどん強気で攻めていった感じです」

片言の英語でも、朗らかに輪に入り、前向きに適応できたことで異国で自分を出し切れた。だから帰国後、色川GMから「来年どうする?」と聞かれて「海外でも」と答えられた。茨城入団時には「実家や母校(錦城学園→桜美林大)に近くて困ったら頼れるかな」と思っていたのに。

プロ志望届の対象外だ。年齢的にNPBの入団テスト受験も難しい。ドラフト指名には「国際スカウトの方に知ってもらえれば指名してもらえるかも、という世界です」。そんな1万キロ以上かなたから一発逆転、NPB入りを狙う。

「特にスポーツの世界は若いうちしか挑戦できないと思うので、少しでも海外で挑戦したいと思うなら、1歩踏み出した方が絶対ためになると思うので」

…と書いたまでは良かったが、世の中うまくいかないことも多々。力を出し切れずに9日に帰国の運びとなった。厳しい契約、これぞ海を渡るリスク。ただ、根岸は「結果的にはうまくいかなかったですが、とても大きな経験や出会いを得ることができたと思います。今回の経験を生かし今後も頑張ります」と至ってポジティブだ。久々の日本食で心も満たし、まだまだ夢を追う。【金子真仁】

◆根岸涼(ねぎし・りょう)1998年(平10)8月5日生まれ。東京・江戸川区育ちで錦城学園(東京)から桜美林大を経て、JFE西日本で2年間プレー。23年はBC茨城に所属。177センチ、80キロ。右投げ右打ち。「高校時代に日の目を見なかったのにメジャーでも活躍したので」と上原浩治氏に憧れる。