「野球の国から」の新シリーズ「平成野球史」。第3回はパ・リーグを、野球界を変えた男、新庄剛志氏(46)の登場です。引退後、初めてというスポーツ紙の取材に応じ、阪神、米大リーグ、日本ハム時代のエピソード、当時の考え、今の球界に思うことまで、新庄流に楽しくぶっちゃけます。

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日本ハムに電撃移籍した新庄は、エンターテイナーぶりを披露した。野球人生の締めくくりになった04年からの3年間は、数々のかぶりもので、ファンを喜ばせた。

例えば、特殊メークの第一人者、スクリーミング・マッド・ジョージ氏作の「SHINJOスマイルマスク」で度肝を抜いた。新庄劇場とともに、球団が北の大地に根付いたという見方は決して的外れではない。

新庄 特殊マスクは350万円かかりました。自腹。球団には相談しない。言うとやめろと言われるから。東京ドームをプシューッって飛びたかった。マイケル・ジャクソンみたいに。調べたら、免許とって3カ月ぐらい訓練しなくちゃいけない。火が出るし、じゃあ考えますわとなった。

札幌移転初年度の04年にプレーオフ進出。自らもベストナイン、ゴールデングラブ賞を獲得する。05年にはヤクルトから稲葉篤紀がFA移籍。同じ72年生まれで、同じ外野だった。

新庄 ぼくの前の「5番」がアッチャンだったけど、ほんとチャンスに弱いのよ。「アッチャン、代わってぇや」とよく頼んだもん。「ツー(新庄)さん、ぼくチャンスで打席に立ちたくないんすよ」と言うから「バカか。アッチャンが打てなくてもなんも言われないし、なんも記事にならん。でも、ぼくなんかボロカス書かれる。もっと楽に打ちゃあいいじゃん」。そこから背筋が伸びて、らくーぅな打ち方になった。

新庄のアドバイスは、07年に稲葉が首位打者のタイトルを獲得したことにも影響を及ぼしたようだ。

新庄 ヤクルトは野村監督で、スタンドに手を振るのがNGだったのかも。「アッチャンを見に来てるんだから、手を振って、ありがとうってしてあげて」と頼んだ。そうしたら、ずっと振ってる。もう振らんでいいと怒った(笑い)。

新庄にとっては、「突然の引退宣言」も考え抜いたファンサービス、パフォーマンスのひとつだった。06年開幕後の4月18日オリックス戦(東京ドーム)だった。試合後に「今日、ヒーローインタビューという最高の舞台で報告したいことがあります」と切り出した。「タイガースで11年、アメリカで3年、日本ハムで3年…。今シーズン限りでユニホームを脱ぐことを決めました」。

新庄 そしたら大社さん(当時オーナー)が「えらいパフォーマンスだけど、それ取り消してくれない。取り消してほしい」って(爆笑)。「5億円出すから」って。引退を宣言すれば、どの球場に行っても、ぼくのユニホーム姿をファンが見に来てくれるでしょ。ぼくなりの計算ですよ。

球場に詰めかけるファンが期待する新庄劇場はその後も続いた。06年6月6日の阪神戦で札幌ドームのセンターの真上、天井部分に設置されたスピーカー前部の穴から登場。20階建てビルに相当する地上50メートルから降下した。

新庄 ユーミンのコンサートでやってた。実際、上にいくと、選手は豆粒に見える。命綱はなしおちゃんです。怖くてずっと目をつぶってた。表情が変わるからサングラスしてね。(敬称略=つづく)【編集委員・寺尾博和】

06年6月、阪神戦でゴンドラに乗ってドーム天井から降下する日本ハム新庄
06年6月、阪神戦でゴンドラに乗ってドーム天井から降下する日本ハム新庄
06年4月、オリックス戦でお立ち台に上がった日本ハム新庄はいきなりの引退宣言
06年4月、オリックス戦でお立ち台に上がった日本ハム新庄はいきなりの引退宣言