平成の野球を語る上で、最重要人物が松井秀喜(44)だ。巨人の4番、球界の将来を担う逸材と期待され1993年(平5)にプロデビュー。長嶋茂雄監督から熱血指導を受け、日本を代表するスラッガーに成長した。03年からメジャーの名門ヤンキースの主軸として活躍。09年ワールドシリーズではMVPに輝き、世界一に貢献した。時代をけん引した強打者は今、何を考え、どこへ向かうのか-。新時代を前にした思いを探る。

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2012年(平24)12月。現役生活に別れを告げた松井は、自宅のあるニューヨークで「私人」に戻った。石川・根上町(現能美市)で過ごした少年時代から毎晩、自宅の敷地内にある倉庫でバットを振り続け、ほぼ野球漬けの生活を送ってきた。だが、野球が恋しくなることは、ほとんどなかった。

「たまにバットを振ったりはしてましたけど…自分の打撃を良くするために振るわけではなくて、運動不足解消のためで、草野球くらいならやりたいと思ってましたけど、せいぜいそのくらいかな」

30年近くスポットライトを浴びてきた日々が一変した。元来、時間に追われてあくせくするタイプではない。家族と過ごす時間を、心穏やかに味わった。

「充電も何も、野球が自分の生活の中からほぼなくなっている感じ。普通の人でした。仕事もしてないですし、家にいるだけで、何やっていいかも分かんないですし。それこそ子どもの世話をしているフリをするというか(笑い)。唯一の楽しみは、気分転換を兼ねて子どもを散歩に連れて行くことでした。(現役時代は)マンハッタンの外に出て散歩することもなかったと思いながら、そういう楽しみはありましたね」

翌13年には、恩師である長嶋茂雄(巨人終身名誉監督)と一緒に、国民栄誉賞を受賞。5月5日には東京ドームでセレモニーが行われた。ヤンキースも松井の功績をたたえ、7月28日にマイナー選手として「1日契約」。ヤンキースのレジェンドとして区切りを付けたが、その時点でも、将来のことを真剣に思い描く状況ではなかった。

「まだ全然考えてなかったですね。今はヤンキースの仕事をしてますけど、時間的に余裕を持ちながらできる仕事ですから。将来的に考えていることは見えてないですね」

その一方で、野球と一線を画すこともイメージしていない。

「野球から離れることは考えてないですけど。何か違うビジネスを始めようとかは、まったく考えてないですよね」

後輩の高橋由伸が巨人監督を務め、昨季は、同年齢の井口資仁がロッテの監督に就任した。だが、今の松井には、まだ指導者としての明確なビジョンは浮かんでいない。

「野球がずっと好きで、ずっとプレーしてきて仕事になって、それが終わって新たな目標があるのかといえば…勝敗の責任を背負うエネルギーが自分にあるのかな…と思います」

毎オフ「待望論」は後を絶たない。そんな声は、どう届いているのだろうか。

「野球が好きだし、それが生活の一部として、エネルギー、情熱が湧くのは素晴らしいですし、うらやましい部分でもあります。自分の中に、その情熱があるかといえば…自分が使命を感じない限り、動けないかなとも思います」

時、いまだ熟せず-。

ただ、胸中には、尊敬する2人の姿が克明に刻み込まれている。(敬称略=つづく)【四竈衛】