日本人選手がメジャーで活躍するのが当たり前になった平成時代だが、そこに至るには先人たちの苦労があった。通訳や代理人として日米で多くの選手をサポートし、2007年(平19)に手術で男性から女性へ生まれ変わったコウタ(56=本名・石島浩太)。女優、ギタリストとしても活動する彼女の波乱の人生と日米の野球史を振り返る。

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1997年(平9)は、コウタにとって忘れられない1年だ。

旧知の団野村が95年に野茂英雄のドジャース入りを決め、96年オフにはロッテ伊良部秀輝のヤンキース入りを画策していた。その団から「コウちゃん、ヤンキースで働く気はない?」と打診され、初めて大リーグ球団で働く決意をした。

伊良部の入団より一足先に、ヤンキースの環太平洋業務部長に就任。97年2月、所沢からヤンキースキャンプ施設のあるフロリダ州タンパへと引っ越した。伊良部の元通訳として知られるコウタだが、ヤンキースの当初のプランはちょっと違った。

「直前に、ヤンキースがアディダスと10年9500万ドル(当時のレート1ドル=120円で114億円)といわれる契約を結んだ。球団は、同じことを日本の企業ともできないか考え、実際に電通が動いたり、私もマーケティング面での役割を期待された。でも伊良部くんが入団した後、さまざまな問題があって、それどころじゃなくなった」

97年5月、伊良部はロッテ、パドレスとの三角トレードでヤンキース入りした。しかし通訳はおらず、伊良部のマイナー行脚へ同行するビリー・コナーズ投手コーチ顧問、アーサー・リッチマン広報、吉田一郎専属トレーナーの世話役もいなかった。コウタは伊良部も含め4人を乗せたバンの運転手も兼務。マイナーリーグを転戦する。

「後に当時のジョージ・スタインブレナー・オーナーも『申し訳なかった』と謝っていたけど、調整を急がせて球宴明けのタイガース戦(7月10日、ニューヨーク)でメジャーデビューさせることが最初から決まってしまっていた。無謀ですよね」。1Aタンパから2Aノーウィッチ、3Aコロンバスへと移動しても、伊良部の状態は100%には至らなかった。

しかもコウタは、伊良部の中にあるコンプレックスを感じ取っていた。小さな町を回るマイナーリーグでは、試合後まで開いているレストランは限られる。近くのバーの厨房(ちゅうぼう)で軽食を作ってもらい、食べたりもした。伊良部は食事については文句ひとつ言わなかった。

食べ物には無頓着だったが、他人の目には過敏に反応した。「伊良部くんは『こいつオレのことバカにしてるでしょ?』みたいに言うことがよくあった。でも、そういうコンプレックスは分かるんだ。私も子供のころからたくさん嫌な目に遭ってきて。彼もそうだっただろうし」。

球宴期間中にはジョー・ジラルディが帰省せずにヤンキースタジアムに残り、投球練習に付き合ってくれた。メジャー初戦のタイガース戦では6回2/3を投げて初勝利。トーリ監督の配慮で回の途中で降板し、ファンから盛大なスタンディングオベーションを受けた。順風満帆なスタートに見えたが、徐々に歯車がかみ合わなくなっていった。(敬称略=つづく)【千葉修宏】

◆コウタ(本名・石島浩太)1962年(昭37)3月15日、東京生まれ。ダイエー、西武の通訳、渉外担当、ヤンキース環太平洋業務部長などを歴任。07年に性別適合手術を受け女性に。現在は女優、俳優長谷川初範のバンド「Parallel World」のギタリスト、映像配給会社で英テレビ局の日本向け担当も務める。