平成を彩った名場面にフォーカスする。第1回は伊藤智仁と篠塚和典の攻防。高速スライダーで大記録目前のルーキーに、希代のヒットマンが立ちはだかる。

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ストレート、と思った球がククッと曲がる。ヤクルトのルーキー、伊藤のスライダーは本当に横滑りする、ように見えた。そもそもスライダーとはそういう球種だが、多くの投手の場合は鋭く小さく曲がって落ちる。が、伊藤のスライダーは、横に平行移動するような感覚だった。

1993年(平5)6月9日、金沢。巨人戦に初登板初先発した伊藤は、原、駒田、吉村らが並んだ打線から、次々と三振を奪っていった。6者連続、3者連続。5回を終えたところで、早くも12奪三振を数えた。150キロを超すストレートに、速くて横滑りするスライダー。バットにかすらせもしないという表現は、この日の伊藤にまさにピッタリだった。

ただ、本人の感覚は違った。今年から楽天のコーチを務める伊藤はこう振り返った。

伊藤 あの日はあまり調子が良くなかった。三振記録のことも知らなかったし(球数も多く)途中から、早く前に(打球を)飛ばしてくれないかなと思いながら投げていたよ。

8回終了時点で三振は15。セ・リーグ記録の16ばかりか、野茂英雄らの日本記録17(当時)も射程圏に捉えた。

が、味方打線も巨人のルーキー門奈の前に沈黙し、0-0のまま9回裏へ。伊藤は1死から三振を奪い、セ記録に並んだ。さあ、日本記録、そして新記録への期待が高まった時、篠塚が打席に入った。

84、87年の首位打者・篠塚は晩年を迎えていた。この日もベンチスタートだったが、9回表に長嶋監督が好投門奈から抑えの石毛にスイッチしたタイミングで二塁の守備に就いていた。もちろん、裏に打席が回ってくることを計算に入れた用兵だった。

石毛のブルペン投球で目慣らししていた篠塚は、伊藤の速い投球テンポを嫌がり、2度、打席を外した。そして、初球。伊藤のこの日150球目を右翼芝生席に運んだ。クールな男が一塁を回ったところでガッツポーズ。伊藤は両膝から崩れ落ちた。

試合後、篠塚は「スライダーかカーブ。狙い通りだったよ」と話した。一方、伊藤は「真っすぐ。高かった」と答えている。どちらが本当なのか。日刊スポーツなどで評論活動を行っている篠塚に聞いた。

篠塚 そんなこと言ったかなあ(笑い)。真っすぐだよ。ストライクを取りにくるところに無意識に反応できた。

この試合から1カ月後、伊藤は右ひじ痛で戦列を離脱。その後もケガに悩まされ、実働7年で37勝に終わった。しかし、1年目の防御率0・91(109回)はいまだに輝きを放っている。

金沢でのドラマから25年後、2人は富山で再戦した。伊藤がBC富山の監督を務めていた縁で、エキシビションで向き合った。結果は…初球真っすぐ、センター前ヒットだった。(敬称略)【沢田啓太郎、亀山泰宏】

伊藤智仁氏(19年1月23日撮影)
伊藤智仁氏(19年1月23日撮影)
篠塚和典氏(15年6月4日撮影)
篠塚和典氏(15年6月4日撮影)