2007年(平19)の日本代表は、2度の奇襲を成功させ北京オリンピック(五輪)アジア予選を突破、1枚しかない切符を手にした。繊細な日本野球の証左として、星野仙一監督(当時60、故人)が繰り出した手を振り返る。

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12月2日の韓国戦は、試合前にドラマがあった。

相手は先発をダルビッシュ有と読んでいた。右投げの打撃投手だけで直前の練習を行い、しかもダルビッシュの得意とするツーシームを重点的に打っていた。開始1時間前に提出したメンバー表は、上位が左打者で固められていた。

数十分後、スタメンを伝える場内アナウンスが進むと、日本の記者席からどよめきが起こった。日本の先発は左腕の成瀬善久。韓国は1番から6番までずらりと右打者に代えてきた。

星野は大会中、2人に州際野球場の地下にあるブルペンでの調整を命じて情報を管理。その上で、成瀬にはコールド勝ちした前日のフィリピン戦中、グラウンドにあるブルペンで26球の投球練習をさせ、中継ぎ待機させているように見せた。韓国の偵察隊は目から入る情報をうのみにし、大一番で読み違えた。そして「罰則がない」という盲点を突いてスタメンを変えた。

大会前の監督会議で「アクシデントがない限り、提出されたメンバーで試合を行う」とは確認されていた。紳士協定に反した変更は、動揺をそのまま表していた。試合後の公式会見は荒れ、金卿文監督に批判が集中。IBAF(国際野球連盟)が急きょ規則委員会を開き、メンバー交換が最終決定の原則が徹底されることになった。

バックヤードの情報戦を制しライバルを退けた星野は翌3日、今度は地上戦で台湾を退け北京五輪を決めた。1点を追う7回無死満塁、カウント2-1からスクイズのサインを出した。

スクイズは最後に手をたたく約束だった。三塁走者の宮本慎也(現ヤクルトヘッドコーチ)は、塁上で確かに星野のかしわ手を見た。「こんな場面で…失敗したら、えらいこと」。にわかに信じられなかった。

三塁コーチの山本浩二、打者のサブロー。アイコンタクトの結果、スクイズで間違いない。突入。サブローは内角低めの難しい球に腰を折り、完璧に転がした。同点に追いつくと、せきを切って打線がつながり完勝した。満塁でのスクイズは、この局面に至る監督生活の13年間で7回、サインを出していた。成功4回、失敗3回。ばくちに勝った。

宮本は試合直後「驚いた」とコメントした。驚きは何年たっても消えなかった。9年後の16年夏、記者は星野に尋ねた。

「前進守備だったが、ノーアウト満塁のスクイズは、相手の頭にまず、ない。天然芝が深く、転がせば打球が死ぬ。ピッチャーのモーションが大きい。ランナーが慎也で、打者はサブロー。確実に決めてくれる」

「興奮して、無意識に手をたたいたのでは? 興奮すると結構、かしわ手を打つクセ、ありますよね」

「お前…あるわけないだろう! でも、そうだったかも知れんなぁ。しかしそんなこと、誰が言ってるんだよ」

星野は声色に気持ちが出る。「失礼な」の不機嫌が一瞬、伝わってきた。

「宮本さんです」

「…慎也が! アイツいまさら、何を言って…」

電話越しの星野はそう言ったきり、腹の底から引きつける笑いが治まらなかった。味方をも欺いた会心の一手。懐かしさとうれしさが同時にこみ上げた。

もともと用兵術にたけていた星野は、平成に入って年を重ねるに戦略を戦術に落とし込み、大きな結果を出した。「負けたらアウト。スクイズは普通、ない。極限の緊張の中では、思いも寄らないことが起きる。でなければ、極限を乗り切れないとも言える」。

日本一になった13年にも妙手を打った。(敬称略=つづく)【宮下敬至】

◆サブロー氏 サインが出た時に「ウソやろ? 間違えたか」と思って三塁走者の宮本さんを見たら、アイコンタクトをしてきたから「スクイズなんだ」と。ただ打席に入る前に一応、頭の片隅にはあったから準備はしていた。自分が監督なら満塁でサインは出せない。失敗した時のリスクを考えてしまう。勝って当たり前の雰囲気の中で成功できてホッとした。あの投手なら普通に打てる自信はあった。でも打つよりインパクトが残ったかな(笑い)。