さまざまな元球児の高校時代に迫る連載「追憶シリーズ」。第12弾は坂本佳一さん(55)です。

 1977年(昭52)の夏の甲子園。東邦(愛知)の1年生エースにファンは熱狂しました。大会後についたニックネームは「バンビ」。坂本さんをめぐるフィーバーは過熱していきます。

 投手転向から5カ月もしないうちに成し遂げた高校1年夏の全国準優勝。甲子園のアイドル、坂本さんの高校時代を7回の連載でお届けします。

 8月5日から11日までの日刊スポーツ紙面でお楽しみください。

 ニッカン・コムでは連載を担当した記者の「取材後記」を掲載します。

取材後記

 私がまず出会ったのは「バンビ2世」と呼ばれた東邦(愛知)の藤嶋健人投手(現中日)でした。16年春センバツ、そして夏は愛知大会から甲子園まで。エースだけではなく主将で4番打者だった藤嶋選手を追いかけました。

 愛知を代表する私立強豪の東邦で1年からエース。坂本さんの愛称を継承した1人でした。91年生まれの私は藤嶋選手を取材するために「バンビ」「坂本」と、過去の資料を検索したことを覚えています。

 77年夏。1年生エースだった坂本さんは甲子園で鮮烈なデビューを飾り、準優勝まで駆け上がりました。出てきた資料写真では、高校野球ファンに取り囲まれ、まさにフィーバー。華々しい。私の持った印象でした。

 初めてお会いした坂本さんは現在、務めている名古屋市内の岡谷鋼機のオフィスで迎えてくれました。

 スラッとしたスーツ姿。甲子園が生んだアイドルは55歳になっていました。そしてお父さんにも。

 坂本さん 息子がこの春で高校3年生になってね。サッカーをしているんだけど。本当にあっという間だった。あらためて高校の3年間は短いと思いましたよ。

 15歳という多感な年齢からの2年半。長いようで短い。そして、人生を左右し基盤となる時間のように感じました。5日からの紙面で紹介させていただきましたが、坂本さんの壮絶な体験談を聞くと、心苦しくもなりました。

 「バンビ2世」と呼ばれた東邦の後輩や早実(西東京)の清宮幸太郎内野手(3年)まで話は及びました。坂本さん自身の実体験を重ね「絶対、大変だと思うよ。どんなふうに生活しているんだろう」。注目度の高さから日常に支障がないかと心配。高校野球の先輩として、全ての後輩たちへの愛のようにも感じました。

 藤嶋選手に「バンビ2世」と呼ばれることをどう思っているのか気になって、聞いてみたことがありました。

 答えは「自分の名前が覚えてもらえるので、うれしいですよ。先輩がいてくれたおかげで、注目してもらえるんですから」でした。

 そのとき、藤嶋投手は屈託のない笑顔を浮かべていました。東邦の伝統。重圧もあったかと思います。しかし、大先輩から受け継いだ名に誇りを持っていました。

 坂本さんが1人で戦い抜いた高校野球の2年半。逃げずに立ち向かった日々でした。後輩たちはその姿に尊敬の念を抱いているのでしょう。これからも「バンビ」という名は受け継がれていくのだと思います。【宮崎えり子】