スコットランドのネス湖にすむといわれる未確認動物の通称はネッシー。その目撃情報が世界を駆け巡った1970年代半ば、長崎に現れた海星の怪物投手・酒井圭一の愛称はサッシーになった。76年夏、長崎大会3回戦の島原中央戦では1回先頭から16連続奪三振を記録。県勢最高タイの甲子園夏4強へ突き進んだ快投に迫る。

◇    ◇

 そんなつもりではなかったのだという。

 長崎県高校野球連盟刊行「白球五十年」には<島原中央戦では1回の先頭打者から16人を連続三振にうち取る快挙、これはこれまでの県高校野球記録の連続10個=渡辺耐二(佐世保南)=を大きく上回るもの>と、酒井が三振の山を築いた事実が記されている。

 酒井の怪物ぶりの証明=16連続奪三振。しかし、当時の監督、井口一彦(70)が苦笑いを浮かべる。

 井口 今でも16連続と話題になりますが、あれはたまたまそうなっただけ。私が言ったのは「一回り(9人)くらい三振取ってこい」だった。

 島原中央は86年夏の甲子園に出場しているが、76年は力をつけようとしていた時期。「バットスイングが緩かった。相手には悪いが、私からはそう見えた」と、その時を井口が思い浮かべる。最初の守備に就く直前、選手を集め「一回りくらい三振取ってこい」と声を掛けた。投げる酒井への注文ではない。1人の出塁も許すなという意味を込め、全員へ呼び掛けた。

 井口 それで、野手やベンチの選手も「取るのは三振だ」と思ったのではないですかね。だからキャッチャーフライが上がっても、みんなから「捕るな」と声が飛んで、捕手も追わなかった。1つか2つ、そういう打球がありました。

 初回先頭から6回1人目まで16打者を三振に仕留めたのは酒井だが、海星ナインの結束が生んだ連続「K」だったともいえる。

 井口 酒井とは毎年会いますが、その話は全くしないですよ。

 マスコミが騒いだ16連続奪三振について、酒井自身も取り立てて話題にしない。海星の創立125周年記念誌の特集「卒業生インタビュー」でも、約5000字分の酒井の語りに島原中央戦は出てこない。

 それよりも、夏の甲子園で酒井が怪物級を示した1球がある。

 2回戦の福井戦で、海星が8-0として迎えた終盤。一天にわかにかき曇り、雨は強風を伴った。福井の7回表の攻撃中、2死、フルカウントで中断となった。雷鳴が響く。暗くなった球場内にスコアボードのストライク、ボール、アウトのカウント表示7つ全てが点灯したままで浮かび上がっていた。コールドゲームとはならず、1時間43分後に再開。

 井口 その後が素晴らしかった。

 マウンドに戻った酒井は、右打者の外角低めいっぱいに剛速球を投げ込んだ。長時間待って、三振で相手攻撃を終わらせた渾身(こんしん)の1球。

 井口 鳥肌が立ちました。この子はやっぱりプロばい、と思った。

 それは、甲子園に「本物のサッシー」が現れた瞬間だった。その目撃談は、16連続奪三振ほどは世間に広がっていない。

 井口 だから私は、機会があると、あの1球がすごかったという話をするんです。見事な球だった。

(敬称略)【宇佐見英治】