松坂大輔は、プロ入り後も常に球界の先頭を走り続けてきた。その結果、「松坂世代」の呼称が浸透した。松坂自身、かつてはそのフレーズを重苦しく感じた時期もあった。だが今は、少し違う。

「全員が同じ方向を向いて、同じような感情を持って戦っていたと思います。今思い出しても、そうだったと言い切れます」

心身ともに、少年期から青年期へ、大きく移り変わる多感な時期。遊びたい盛りに、毎日、猛練習に明け暮れた。そんな年頃に、同じ感覚、同じ時間を過ごした。その最後に、甲子園で熱闘を演じ、日本中に感動を呼んだ。今となっては、「松坂世代」と呼ばれることに、逆に励まされることも少なくないという。

プロ入り後は、阪神藤川、ソフトバンク和田、巨人杉内ら同期生が、ともに球界トップで活躍してきた。ただ、松坂にとってプロのスター選手も、高校時代の「控え選手」も同期生。甲子園という、同じ方向を向いていた仲間に変わりはない。

「今でも食事をすると15人くらいは集まります。レギュラーと裏方が本当に仲良かった。メンバーに入れなかった選手たちが素直だった。すごく悔しかったと思いますが、同級生が勝てるようにサポートしてくれましたから」

最後の夏を前に、帽子のひさしに「One for All」と書き込んだのも、レギュラーだけでなく、控えの選手の顔を、常に思い浮かべていたからだった。松坂の場合、PL学園など他校の同期生とのつながりも絶やしていない。

「他校のレギュラーじゃないメンバーとも仲がいいです。同世代のつながりがすごく広くて、いろんなところでみんなつながっているのは、あまりないことなんですかね」

特に準々決勝以降の3試合は、野球ファンならずとも強烈な印象を残し、社会現象と化した。

「漫画でも書けないストーリーだと言われました(笑い)。でも、当時はどうだったんだろうなあ。実感がないんですよ、意外と。ただ、周りに言われると、うれしかった感情は思い出すんですけどね」

「伝説」は、第三者の感受性が作り上げるもので、当事者はあくまでも試合に没頭している。ひたすらに白球を追う、負ければ終わりの一発勝負。そんな戦いに、ファンは感情を移入するのだろう。

「それが高校野球の良さなんでしょうね。純粋さ、ひたむきさ…。プロ野球も目の前の1球に気持ちを込めてますけど、やっぱり甲子園とは違いますね」

春夏連覇直後、当時17歳の松坂は「甲子園が自分を大きくしてくれました」と、聖地へ感謝の言葉を残した。だからこそ、未来の甲子園に対する思いも強い。

「ルールは変わっていくと思います。球数制限、タイブレークとかで、感動的な試合がなくなるんじゃないかとか、言われてますけど、ルールが変わっても感動的な試合は何試合も起きると思います。自分の原点を思い出させてくれる試合は、これからも思い出すんでしょうね」

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野球ファンの誰もが口ずさむ、あの夏の大会歌を作詞したのは、偶然にも同じ「ダイスケ」の加賀大介氏(故人)。

「ああ、栄冠は君に輝く-」

甲子園は、勝者にだけ栄冠をもたらしてきたわけではない。歌詞にある「君」は、甲子園を目指す、名もなきすべての高校球児を指している-。「ダイスケ」とその周囲を取材すると、その思いはより強くなった。白球を追うことで「One for All」の一員になれるのは「松坂世代」に限ったことではない。それが、100回を数える大会で培われた「野球の力」なのだろう。【四竈衛】(敬称略=おわり)