宣誓は、マイクを通じて晴天の甲子園球場に響き渡ったという。1929年(昭4)8月13日。第15回全国中等学校優勝野球大会の開会式が行われた。大阪朝日新聞が夕刊1面トップで詳しく報じていた。記事を基に再現してみた。

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定刻午前8時。前年優勝校の松本商・中村主将が掲げる大優勝旗を先頭に、参加22校三百数十人の入場が始まった。万雷の拍手に迎えられ、各校がダイヤモンドに整列。主将たちは外野スタンド前へ進んだ。君が代吹奏の中、日の丸と大会旗が掲揚される。主催者あいさつ、大会歌合唱に続き、松本商から大優勝旗が返還。荒木大会委員長が本塁後方に設置された壇上に上がり、訓示を行った。

「正々堂々と大会精神を発揚して戦え」

選手代表で、慶応商工の黒崎数馬主将が前に進み出た。

「訓示の通り正々堂々と戦います」

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最後の簡潔な一文こそ、甲子園大会で初めて行われた選手宣誓だった。記事は「撥剌(はつらつ)たる元気を見せて宣誓」したと伝える。同紙が大会後に発刊した「アサヒスポーツ」(同15回大会特別号)は宣誓する黒崎の写真を掲載。脱帽して本塁上に立ち、背筋をピンと伸ばしている。両腕を突き出し、紙に書いた宣誓文を読み上げていた。当時の宣誓は「読む」のが一般的だったようだ。

だが、黒崎の宣誓に関する報道は、それ以上は見つけられなかった。本人の感想も載っていない。疑問が残る。なぜ、慶応商工の主将が宣誓を行ったのか? 何より、なぜ、同大会から宣誓が始まったのか? 主催の朝日新聞社にも問い合わせたが、当時の経緯は不明とのことだった。

2つ目の疑問については、五輪の影響が考えられないだろうか。選手宣誓の起源は、古代オリンピックで選手が全知全能の神ゼウスに誓いを立てたことにさかのぼるといわれている。近代オリンピックでは、日本も参加した20年のアントワープ五輪から選手宣誓が始まった。黒崎が宣誓した29年の時点で、既に、24年パリ、28年アムステルダムと合わせ、3大会で選手宣誓が行われていた。世界のトレンドに倣い、甲子園でも選手宣誓を導入したのかも知れない。

ちなみに、春のセンバツでは、黒崎が行った翌年、30年の第7回大会から選手宣誓が始まった。こちらは「センバツ野球60年」(毎日新聞社、88年)に詳しい。大阪毎日新聞社内で大会の盛り上げ策が話し合われ、選手宣誓のアイデアが出たという。白羽の矢は台湾一中の三瀬三則主将に立った。「われらはスポーツ精神にのっとり正々堂々戦わんことを誓う」と宣誓。強肩捕手で、後に、プロ野球の東京セネタースに進んだ。

夏の甲子園で選手宣誓が始まった経緯は推測するしかない。黒崎数馬についても「甲子園で初めて選手宣誓を行った人物」ということぐらいしか分からない。台湾一中の三瀬のようにプロに進んだわけでもない。ところが、ある本を足がかりに黒崎の人物像が見えてきた。(敬称略=つづく)

【古川真弥】

(2018年4月11日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)