台本は出来上がっていた。センバツ出場校の発表日。江の川のグラウンドにはテレビ、新聞など多くの報道陣が集まっていた。前年秋の中国大会でベスト4に入り、負けた準決勝も1点差の好ゲームだった。出場は確実とみられていた。

--選手たちはランニングをしている。そこに監督の木村賢一が、出場の吉報を持って現れる。「決まったぞ」。選手たちは「やったあ~」と喜んで一斉に帽子を投げる--

これが報道陣と作ったシナリオだった。選手たちは走りながら、その時を待っていた。谷繁と同級生の藪野良徳は、このシーンを鮮明に記憶している。

藪野 もう、あとは帽子を投げるだけでした。でも、ずっとランニングをしていても、なかなか監督が出てこない。「あれっ?」と思っていたら、やっと出てきて「補欠校だ」と言われた。覚えているのが、マスコミの人たちがバーッといなくなっちゃったこと。今はそれが仕事だからと理解できるけど、当時は「何なの、大人って」と思った。地元紙の記者さんだけ残って、声をかけてもらったのが忘れられないなあ。

選ばれたのは中国大会に優勝した広島工、準Vの西条農。そして同じ4強ながら準決勝で1-11と大敗した倉吉東、中国大会で未勝利の宇部商だった。

センバツ主催者でもある毎日新聞は、翌2日付の紙面で「センバツ選考経過」を掲載した。一部を抜粋する。

「優勝した広島工(広島)が、投手力に難はあるものの、レギュラー全員が3割を打つ打力と機動力を買われ、準優勝の西条農(広島)もエース・竹広投手の安定感と内野の堅い守りを評価されて、すんなり選ばれた。次に、投手力に決め手を欠く岡山南を落とし、倉吉東(鳥取)江の川(島根)宇部商(山口)の3校から2校を選ぶことにした。そこで、準決勝で広島工に1-11で大敗したが、河野投手を軸にキビキビした試合ぶりをみせた倉吉東が、三番目のイスを射止めた。残る1校は江の川と、1勝もできなかったとはいえ、好投手・木村を擁する宇部商との比較になったが、宇部商が選ばれ、江の川は補欠に回った」

倉吉東は学校創立80周年、部員16人と少人数で奮闘するチームだった。

谷繁 今でも、当時の理事の方々に本当の理由を聞きたい。後々に伝え聞いた話だと、春は地域性を重んじるから、うちは島根の選手が少ないことが理由に挙がったとか。でも、オレみたいに高校に落ちて、「ここしかない」と来ている選手だっている。それで地元じゃないからって、理不尽だよね。大人の世界って、こんなもんかと思った。

島根出身でベンチに入っていた選手は1人だけ。球場で「外人部隊」とやゆされたこともあったという。センバツ選考に影響があったか、今となっては分からない。ただ、地元選手が少ないチームに対し冷たい空気は確かにあった。監督の木村が、当時を振り返る。

木村 野球留学、島根に野球だけやりに来ているという先入観はあったでしょう。でも中学時代の有名なエースや4番は、当時ならPL学園とか天理。今なら大阪桐蔭ですか。そんな選手に声をかけたって来てくれなかった。上手な選手を引っ張っているイメージがあるけど、それは正確な理解ではない。谷繁も、5番の辻正人も公立高校に落ちて、江の川に来たんです。

選手たちの落胆は大きかった。そんなとき、主将の谷繁が口を開いた。(敬称略=つづく)【飯島智則】

(2017年9月27日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)